3回視聴した後の改訂版です。
いくつかの間違いを発見しました。
よくできた映画は、少なくても3回までは、毎回、新しい発見があります。
アオサギだけが写った一枚のポスター。
これが、映画館で見られる唯一のカラー情報です。
7月の連休に、私は、高知に2泊の旅をしました。1泊目と2泊目の宿泊先が異なるため、4時間の時間をすごす居場所を作らなくてはならなくなりました。
それで、7月14日に上映が開始されたという、映画を観るために、イオンに向かいました。
案内がないので不思議でしたが、記事に出ている通り、1枚のポスターを見つけたため、券売機で購入しました。嫁とともに1番前の真ん中席で鑑賞しました。
通常、通路より前列は見にくいと敬遠されます。
しかし、近視と遠視が混ざった私には、頭の後ろに倒してみるのにちょうどよい姿勢をとることができました。
困ったのは、上映前のCMの音がうるさかったことくらいです。
もう新しい作品を作ることがないと言われた宮崎駿監督の遺作になる可能性のある作品。
これまで、ジブリ作品でもっとも売れたのは、「千と千尋の神隠し」。
興行収入は100億円を超えました。制作費は50億円超であったと言われています。しかし、その制作費の半分以上は、「宣伝費」でした。
今回は、ポスター1枚以外には宣伝しない。
それで、興行が成り立つのでしょうか?
その答合わせは、1年後に判明することでしょう。
さて、この作品は、私にとっては、最高でありました。
しかし、目まぐるしいシーンの展開と多くの謎を残しています。
ネタバレになりますが、独自の解釈を加えます。
いつもの女子学生と討論いたしましょう。
――――――――――
登場人物紹介
講師
一文字浩介
地方の準難関大学卒であるが、なぜか帝国大学の講師をしている
心理学者の若手
興味は豊富で、多彩な知識を持つが、まだ何も大成していない
学術とは変わった認識を持つ
言葉使いは、ていねいだが、少し変わり者
生徒1
橘涼香
元、理系女子
宇宙など、壮大なものにあこがれる
宇宙物理学科を目指し、大学受験では合格できるレベルにあったものの、研究に残ることができる者は、ごく一部の天才だけと知り、人文科学を専攻する
気丈な性格といえる
生徒2
円山由貴子
文系女子
ふくよかで、穏やかな才女
彼女の優秀さは、時にかいまみられる
感性豊かな性格
――――――――――
一文字:今回の映画は、スピードについていけなかったですね。
橘:度々、???がやってきました。
円山:わたしもいろいろな本を読んできましたが、難解な印象を受けました。
一文字:ぼくは、最前列だから、他の人の顔は見えなかったけど、2回目の鑑賞で、後ろを覗いたとき、7割方埋まっている観客の多くの表情に「?????」がついているような印象を受けました。
ホントかどうかは分かりませんが。
円山:中学生か高校生くらいの女の子が、「お母さん、何だかわからなかった」と素直に述べていました。
それを聞いたお母さんは、「しっ」と口を閉じるように指示していました。
一文字:最近、異次元の世界に行ってしまうというアニメが増えていますね。
宮崎駿監督の作品では、一番強烈なパラレルワールドを描いた作品ですね。
円山:そう言えば、新海誠監督の「君の名は」もパラレルワールドの要素が多分にありました。
――――――――――
一文字:話は変わります。
冒頭のシーンで、母が炎に焼かれて亡くなるというシーンが主人公の牧真人(まきまひと)君の心に深く刻み込まれます。
時代は、戦争の時ですから、田舎に疎開しました。
橘:その時、父は、前妻の妹で、顔立ちがとてもよく似た、なつこという女性と結婚していました。真人君には、違和感があったようですね。言われたことには「ハイ」と言葉は丁寧に使いますが。
円山:そうなのよね。真人(まひと)君のなつこさんに対する感情のあり方と変化も大切な要素だと思うのです。
新しいお母さんのなつこさんは、人力車に乗っているとき、真人君の手をとり、自分のお腹に持っていきました。
「赤ちゃんがいるの。男の子か女の子か分からないけど」
聞いた真人君の心情は、複雑だったでしょう。
橘:そうよね。真人君は、しっかりしているけれど、思春期まっさかりの年頃ですものね。
一文字:映画では、インパクトのあるシーンが脳裏に刻まれがちですが、そのベースとなるのは、人の感情です。
橘:私は、3回目に観たとき、人力車から降りたとき、なつこさんが、こぎ手のじいさんに、胸から、心付けの包みをさりげなく渡していることに気づきました。2秒くらいの出来事です。
一文字:細かいところに気がつきましたね。
3回観て、大まかな要点を把握してから、ようやく細部に目が向くようになったのでしょう。
――――――――――
ところで、話題が変わりますが、ポスターにあった、アオサギについては、どう感じましたか?
円山:あれは、館に誘導する使者だと思いました。
橘:でも、話の中盤以降では、役割が変わっているのよね。
円山:そうそう。それも、謎の1つ。
一文字:アオサギの変化も大きな見所ですね。
円山:初めは、普通のアオサギでした。なつこさんが、「あら、うちの中に入ってくるのはめずらしい」と発言したことが最初の変化です。
橘:それから、少しして、真人君のいる部屋の窓にやってきて、「助けて」と声を出したわよね。そうしたら、次は、魚を捕食して、飲み込んだ後に、「お母さん」と声を発した。
一文字:その後、アオサギを追いかけた真人に、「おいでなさい」と独自の声と魚とカエルで、館に誘導しようとします。
その時、真人は、館には行かず、気絶しました。
この映画では、真人は何度も気を失います。
――――――――――
さて、真人がベッドで目を覚ますシーンについて、どう感じましたか?
橘:それは、描き方の趣向ではないですか?
一文字:ただの趣向でしょうか?
円山:ええっと、ちょっと待ってください。
橘:あ、そう言えば、真人の意識が戻る間、海から真人の体が浮かび上がってきて、ベッドの水がなくなるシーンが描かれています。
これは、後の伏線だと考えます。
真人が初めて、アオサギと会話した場面。
そして、これが、最初に別の世界に移った機会で行った現象であると推論すると納得します。
一文字:論理的な解釈だと思います。
円山:後のストーリーから振り返ると、理解できます。
一文字:その後、いくらかして、なつこさんが、家を出て森に向かうところを真人が発見します。
なつこに馴染んでいない真人は、すぐには助けようとはせず、時をおいて、館に向かいます。
母親に会わせてやるという、アオサギの言葉の誘惑に乗りました。
橘:それで、真人とともに、タバコ好きでちょっと意地の悪そうな顔をした(召使いの)婆ちゃんと一緒に館の中に入ってしまった。
円山:そして、母親に会わせてやるという、アオサギの言葉にのせられて引き返すことのできない旅に出ることになってしまった。
一文字:館の上には、黒幕とみられる人物の影がありました。
黒幕の人物とは、後半、出会うことになります。
結果、真人、アオサギ、嫌がる婆ちゃんが下の世界に導かれました。
――――――――――
円山:ここのパラレルワールドは、主として、上と下に分かれていますね。
橘:上は、現実世界?では、下は何の世界?
一文字:2つに決めつけない方がいいですよ。
後に出てくる回廊の扉には、それぞれに異なる番号がついていたでしょう?
ということは、パラレルワールドは、無数にあると考えた方が自然でしょう。
実際、真人とアオサギは、132と書かれた扉から元の世界に戻りました。
円山:ああ、そうでした。
ヒミは、「私の扉は違うから」と、2つくらい離れた右の扉からでました。
橘:なるほど、これも意味があるのか!
真人とヒミは、同じ扉から出ることができない!
一文字:そういうことです。
――――――――――
注:映画を観ていない人には、何を言っているかサッパリ分からないと思います。この記事は解釈について考察するもので、なるべくストーリーに触れないようにしているためです。
映画を見た後に記事を読むと、「ふーん」と思うところがあるはずです。もちろん、異なる意見も出てくることでしょう。
――――――――――
一文字:さて、話を単純化して、上の世界と下の世界の2つに的を絞って考えてみましょう。
下の世界は、どんな世界ですか?
円山:水が中心の世界。
ほとんどが死者の世界。
産まれてくる元になる卵が上の世界に上がって行く準備段階の世界。
橘:キリコが、真人に対して、「死臭がする」と告げています。
後にヒミに焼かれて死ぬ寸前のペリカンが、その世界を「地獄」と表現しています。
一文字:そうですね。
では、上の世界は、どんな世界なのですか?
橘:えっ?現実世界なのではないのですか?
一文字:そうではありますが…。私は、別の解釈を求めています。
橘:当てずっぽうですが、水の世界に対して、「火の世界」ですか?
円山:あ、それ、まんざら、当てずっぽうではないかもしれません。
一文字:そうです。炎に焼かれた母がいる世界は、真人にとっては、火の世界です。そして、もう1つは、戦火の世界ということでもあります。
物語の設定では、母親が焼かれたのが、戦争が始まって3年。そして、疎開したのが4年目となっています。
橘:なるほど!
――――――――――
円山:ヒミは、下の世界では、炎使いですね。
それで、人間の元になっていく、わらわらを食べていくペリカンを焼いて退治しました。悲しいことにわらわらも火で焼かれるが、放置しておくと、ペリカンがわらわらをすべて食い尽くしてしまうから、いくらかの犠牲は仕方がない。
一文字:その通り!ヒミは、水の世界の中で、火を司ることができる特殊能力者なのです。
そして、後に明かされる、下の世界の支配者の子孫という特別な人物でもあります。
さて、キリコは狭い範囲内で、火を扱うことができました。
キリコは、真人と一緒に下の世界に連れられていった婆ちゃんの名前です。
この婆ちゃん、上の世界では、タバコ好きで、「タバコ、くれくれ」と何度もせがんでいました。
こうした上の世界の嗜好性と下の世界の能力がつながっているのだと解釈しています。
橘:あ、それから、ヒミは、物語の中で、真人の母だということが分かりました。
上の世界で炎に焼かれていたのですから、下の世界では、炎に包まれていても平気だったいう理屈が成り立ちます。
それから、物語の最後で、真人がヒミに一緒の世界に行こうと勧めます。そうしないと炎で焼かれると。
しかし、ヒミは、炎は怖くない。私は、真人を産みたいと言って、キリコと一緒に別の扉からでます。
物語の前半の上の世界で、真人の夢の中で、母が戦火に焼かれている場面が映しだされました。しかし、その姿は、悲しげではなく、下の世界のヒミと同じように生き生きとした表情をしていました。
一文字:よく観察していますね。
しかし、その他、意図が分からない、なぜ、こういう設定が出てくるのか分からないという場面にいくつも遭遇します。
(作者の宮崎駿監督でさえ、自分でも分からないと言っています)
――――――――――
円山:私は、真人が大叔父に「悪意が含まれている石だ」と告げた後、突然、場面が切り替わって、鎖につながれて、オウムのエサにされそうになった意図が分かりません。
橘:そうですよね。唐突すぎます。脈略もありません。…いや、もしかして、何かある?
一文字:この場面の切り替えに意図や必然性があるのかどうかは不明です。
橘:ただ、私は、アオサギが真人を助けた時に使った道具が「骨」だったことを不思議に思いました。何か意味があるのだろうかと。
そして、助けられた真人も骨で他のオウムを攻撃しました。その骨は、一体、どこから出てきたのでしょうか?
円山:そうなのよね。オウムは、みんな包丁を持っているのに。
一文字:うーん。ここは、理屈では説明できないシーンです。
ぼくが思うに、真人が殺生をすることを避けたのではないかと思います。
包丁で攻撃すると、敵を殺すことになる。
真人は、キリコが捕獲して、すでに包丁で腹を割いている、(死んでいる)魚に別の切り口を入れただけで、殺生はしていません。
また、真人は、ヒミに焼かれて翼が折れて血を吐いている、死の直前のペリカンと話をします。
そして、ペリカンが息絶えた後、真人は、土を掘りました。
「お前、ペリカンを埋めるのか?」と驚いたようにアオサギが訊ねます。
上の世界と下の世界では、考え方が異なるため、儀式も異なってくるのでしょう。
円山:そういうシーンは確かにありました。では、それとオウムに攻撃する方法とどんな因果関係があるのですか?
一文字:実際のところ、因果関係はないかもしれません。
ただ、もし、アオサギと真人がたまたま手にしたのが、「ペリカンの骨」だと推定した場合、ここに因果応報が成立しないでしょうか?
橘:あ、なるほど。死生観の違いと時空を超えることができる世界では、そういう解釈もありかな。
――――――――――
円山:それから、他にも腑に落ちないところがあるのです。
アオサギ、真人、キリコが下の世界に落ちた直後のシーンです。真人は、金色の門と大きな石で祀られたお墓がある小さな無人島で気絶していました。
橘:そうそう。そこには、金色の門と石しかありませんでした。門の上には、「我を学ぶものは死がもたらされる」というような文字が書かれていたと思います。
倒れた真人が起き上がった時、並んだペリカンがお茶目に見つめていました。それが、真人が立ち上がって歩いた後は、集団で凶暴化して、真人を押しつぶしただけでなく、門も倒してしまいました。
あの後、ペリカンの攻撃とともに墓の主から殺されようとしなかったのが不思議です。
一文字:そこも多くの人が、「???」と感じたシーンでしょう。
実のところ、私にも分かりかねます。
キリコが、「よくペリカンに食われなかったな」と発言しました。
「アオサギの羽根を持っていたのか」と口にしました。
アオサギの羽根、特に「風切りの七番」には、浮力と推進力を生むほかに、何らかの魔力が秘められているのでしょう。
その世界では、そういう理(ことわり)があると丸呑み(解釈なしに受け入れる)しかありません。
ただ、死人の占有率が高くて、死者ばかりの世界で、真人のみならず、助けにきたキリコも火の輪で、ペリカンを追い出して、平穏な世界を乱さなかったから、石の主も動かなかったのではないかと推測しています。
墓の主は、大叔父という説もあります。
個人的には、それだと墓が小さすぎるなど、不自然な気がします。
大きな力を持った何らかの主が眠っている場所と勝手に推測します。
キリコが手にしていた縄から発した火の輪は、上の世界では、キリコが吐き出すタバコの煙と同じ形をしていたのではないでしょうか。
橘:なるほど。もし、その解釈が他にも適応できるとしたら、下の世界で殺生をしないことが、上の世界で生きている条件なのかもしれませんね。
一文字:ここが難しい解釈です。
すでに述べた通り、下の世界で殺生をした、ヒミとキリコは、真人とは別の扉から崩壊する館から脱出しました。
ヒミは、わらわらを助けるために、やむを得ず、ペリカンを焼きました。
キリコは、物語の中では、巨大な魚を捕獲して、殺生していました。人の形をした黒い影は、殺生はできないとキリコは述べています。
キリコは、自分は一生この世界に住んでいると述べています。
キリコが、現世に戻ることが出来た理由は、お守りに渡した人形のおかげに他なりません(論理的解釈)。
話の途中で、オウムから逃れるために、ヒミと真人は、132番のドアから元の世界に出ました。それを見つけたお父さんが追いかけますが、ドアの取っ手を話さなかった2人は、再び、異次元の中に入って、冒険をします。
――――――――――
さて、以後は、上記の解釈は、ここまでにしておいて、物語をより曖昧にしている人の感情について考えてみましょう。
橘:まずは、誰の感情をみていきますか?
一文字:真人とアオサギの感情移入からいきましょう。
初めは、アオサギは、単なる案内役であったはずです。
それが、いつの間にか、行動を共にする仲間になりました。
話の途中で、仲直りしなというキリコの前のテーブルに座って、議論する場面があります。
「アオサギは言う。すべてのアオサギはウソつきである。これは、ウソか本当か?」
この質問に対して、2人は、息を合わせたように、「ウソ」と言います。
それから、少しして意見が分かれました。
実のところは、どうなのでしょうか?
これは、論理検証です。
元リケジョの橘君は、どう考えますか?
橘:これを証明するためには、すべての事例を必要とします。
検証が必要です。
一文字:橘君の考察はいかなるものですか?
橘:私が導き出した結論は、
「すべてのアオサギは、ウソをつく。これは、ウソです」
一文字:どうして、そう結論づけたのですか?
橘:真人が製作した矢がアオサギのくちばしに刺さりました。これによって、アオサギは、飛べる能力を失いました。
そうして、真人と一緒に同行している際、「オレは、歩くには適してないんだ」ということを述べてくたばります。
そのため、真人は、木を削って、アオサギのくちばしに空いて穴を塞ぎます。
すると、アオサギは、翼が動くように成、手のひらを返したように、「これからは、お前が自分の好きなようにするがいい」と、自分は去って、真人を見捨てる言葉を口にします。
しかし、その後の様子をみると、真人に同行し、助ける場面がいくつも出てきます。
最後は、「友達」という言葉にも驚き、感動しています。
これら一連の言葉と言動から、
「一部のアオサギはウソをつく」
と実証されました。
しかし、他のアオサギについては不明です。
つまり、「すべてのアオサギは、ウソをつく」は、「証明することができない」が、正しい解答となります。
――――――――――
一文字:すばらしい考察です。
アオサギに限らず、人にも同じことが言えます。
常にウソ、常にホントということは、普通ありません。
ある時は、見方、別の場面では敵になるということもよく起こります。
日常を共にしている家族、友人、同級生、労働者においても、ある人物に対して、真逆の心理を持つことがあります。
これを、「両価性」といいます。
このように、1つの物事について、逆の感情を持つことを別の言葉でアンビバレンスともいいます。
好きと嫌いは、よく一緒におこるでしょう?
自分の好きな恋人が、他の異性とイチャイチャしていたら、どう感じますか?
橘:嫌に決まっています。
一文字:普通、そうですよね。
では、次に真人さんの心理状態を分析しましょう。
真人さんは、義理の母である、なつこさんを助けにいきます。
ただし、最初の時点で、真人さんは、なつこさんのことを信に慕っていたわけではないようです。
義母になるのに、「お父さんが好きになった人」と呼んでいました。
自分の母に会いたいという気持ちの方が優先されたのです。
その心理は、館に入る前のキリコ婆さんが指摘しています。
円山:しかし、物語が進むに従って、真人さんの心の心境にも変化が現れてきました。
一文字:そうです。それを、どこから汲み取ったのですか?
円山:なつこさんの産屋(うぶや)に入った時です。
なつこおばさんといういい方が、「なつこかあさん」に変化したことです。
一文字:危機の時に発した言葉ですね。
人の心の機微を行動と言葉の変化でとらえたのですね。
ところで、産屋では、白い紙がクルクル回っています。
初めは、ゆったりとした、この紙が変化を作るきっかけとなりました。
紙が途方もなく増殖し、攻撃してきました。
これをどう捉えますか?
――――――――――
円山:産屋は、子どもが生まれる神聖な場所です。
神聖な神社でも、白い紙飾りがありますよね。
家庭画報.comより引用
神社の紙飾りは、紙垂(しで)と言い、悪いものを寄せ付けないための神聖であることを示す印として使われています。
紙の攻撃が、紙垂の役割を果たしていると解釈できます。
紙垂が、真人、なつこ、ヒミを攻撃した後、石から出たエネルギーが3人を失神させます。
橘:別の映画ですが、「千と千尋の神隠し」でも、銭婆から印を盗んだ白龍(ハク)を人型の大量の白い紙が追いかけてきました。
千尋がハクを中に引き入れて、攻撃をかわしましたが、1枚だけ千尋の肩に乗って入り込みました。
この紙人形が、湯婆婆のシルエットとなって、坊を変化させました。
一文字:そうでしたね。
他にも、とろとろは、もののけ姫に登場する精霊に似ています。
こういう関連性を見つけて楽しむことができます。
――――――――――
一文字:最後に本編が終わった後のエンディングについて考察しましょう。
制作者が表示されるとともに、米津玄師作の地球儀の音楽が流れます。
その途中に声優の名前が提示されます。
そこで、目にする名前のリストには、純粋な声優より、俳優が目立つのです。
橘:これは、宣伝ではありませんか?
それとも、他の意味を持つのでしょうか?
一文字:双方の意味を持つと思います。
ぼくが想像するには、パンデミック下で、活躍の場を狭められた芸能人を応援しているようにみえます。
テレビに出る機会を損失した人たちへのエールではないかと思うのです。
円山:どうして、そう考えるのですか?
一文字:かなり以前の話ですが、歌手の岩崎ひろみが、仕事がない時期に、ものまね芸人のコロッケが、彼女のネタを披露していました。
これで、彼女の名前を忘れずに固定ファンの減少を食い止めてくれたことを彼女自身が感謝している場面をみました。
芸能人は、知名度により、仕事の質と量、そして、報酬が変わります。
世間が自身の名を認知してくれることがとても重要なのです。
橘:なるほど。一流になるほど、まねごとをする人が増えてきますね。
その中でも、迷惑になる人物と恩恵を受ける人物がいるということですね。
一文字:そうです。
コロッケが、一流になったから、真似されることが真似をされる方の利益にもつながるのです。
円山:私は、そういう事情を考えたことがこれまでありませんでした。
橘:私は、少しだけ知っていました。茶化しでも、ネタをふられなければ、画面に映ることがない。ふってくれる人はありがたいという言葉を聞いたことがあります。
一文字:この映画で、声優としてかかわった俳優は、純粋な声優より高額な費用を受け取ることができたかもしれません。
しかし、自分の名が世間に刻み込まれることが、それ以上の恩恵となります。
監督は、そこまで配慮したと考えています。
最近のジブリ作品の戦略として、有名人を声優に起用して、製作会見を披露することが普通に行われていました。
宣伝のためです。
この映画では、そのような宣伝はありません。
ただし、芸能人の起用には、これまでとは異なる変化がありました。
橘:それは、何ですか?
一文字:声優として通用する人しか起用しなかったことです。
円山:なるほど、うなずける話です。
私は、有名人と声優ができる人は違うと思っていました。
橘:そうそう!私は、声優の選出に不満を持っていました。
例を挙げると、「ハウルの動く城」に起用された、美輪明宏さんは満足できましたが、他の人は物足りないと言う方もおられました。
円山:私も同感。
「千と千尋の神隠し」では、湯婆婆役の声優はよかったですが、すべての人がうまいわけではありませんでした。
菅原文太さんが担当した、釜じいは問題ありませんでした。
一文字:声優のうまさは、アニメでは、とても大切な要素となりますね。
橘:役をどう選別するかは、奥が深いですね。
ところで、全く関係ないことですが、エンディングで、私、気がついたことがあります。
一文字:それは、何ですか?
橘:エンディング曲が終わるまで、観客が席を離れなかったことです。
時間が長くなかったこともあります。
でも、もっと重要なことがあります。
一文字:さて、それは?
橘:製作に携わった人たちの名前が出てきても、中心となる監督の名前がなかなかでなかったことです。
結局、監督の名前は、最後に1人だけ中央に映しだされました。
この後、明かりがついて、観客が席を立ちます。
観ている人は、宮崎駿の名前がいつ出るのか、待っていたのではないかと思います。
一文字:その可能性はありますね。
3回観たぼくも、監督の名前が中央におさまっていることを確認してから席を立ちました。
あの名前を見るまで、納得しない観客が多かったのだと思います。
さて、今回の考察は、ここまでにしましょう。
ぜひ、映画を観てから考察してくださいね。
――――――――――
人の心と役割は変化する。変化しないのは、死んでいる人間だ。
――――――――――