囲碁では、どんなヘタな人でも、1万局打てば、初段になれると言われている。
真偽のほどは、確かでない。
ただ、1万局打つには、どれだけの時間を要することだろう。
じっくり打つ人と早く打つ人がいる。
仮に1局1時間としたら、1万時間。
1日に1局打つとしたら、30年かかる計算になる。
碁会所では、1日に10局ほど打つ人も結構いる。
ならば、3年〜5年で可能か。
私みたいにヘタな人間が言うのも気が引けるが、
「万年1級」という人がいる。
長年やってきて、ある程度は上達したものの、どうしても段の域に届かない人のことを言う。
そういう人にいく人か出会った。
私は、正式に囲碁の先生について習ったことはない。
私の先生は、そのほとんどが、プロが書いた書物であった。
最初の頃は、プロが書いてある通りに打っていても、巧妙な変化図を試されて、大損することが多かった。
また、意図して、「ハメ手」に誘導されることもけっこうあった。
そうしてやられることが少なくなったのは、初段を超えてからであろう。
万年1級の人の手が、「変な」「ムダな」「形が悪い」と思うようになった。
以前から気づいていたが、6段以上の高段者は、たいてい、「形がいい」「石がきれい」である。
たまに、練習だけで強くなった、石の形が悪い6段が存在するが、そういう人は、さらに上の人に、コテンパンにやられる。
要は、自己流、我流、そして、ハメ手が好きな人は、変な形と考え方に凝り固まって、上に伸びる芽を摘んでいるのだろう。
私は、囲碁を覚えてから20年以上経つが、打たない時期の方が圧倒的に長いため、実質習った期間は、3年くらいか?
対局数は、数えていないので、分からないが、1000局打っているかどうかあやしい。
10年以上前に、週に1〜2回、ある碁会所に半年くらい通っていたことがあった。
初め、そこの師範と打って、実力査定をしてもらった。
レベルが圧倒的に上の人は、実力をちゃんと見抜く。
「あんまり打ったこと、ないだろ?」
と言われた。
「へ?そんなことまで分かるの?」
石の持ち方、打ち方、戸惑う場面をみたら、丸わかりだったのだろう。
それでも、
「石がしっかりしとる」
と言ってくださった。
それを聞いて、自分は不思議に思った。
自分では、自然に打っているだけで、特別な手はない。
難しい手も打てない。
後で判明したことだが、変な手を身につけず、(部分的にみれば)高段者のような石の流れがあったらしい。
それから、半年くらいして、1〜2つほど強くなった後、家庭の事情で碁会所に通わなくなった。
あれから、10年の時が経ち、通う人も様変わりしたと風の噂に聞いた。
当時の師範は、体が弱く、若くして亡くなられたことも知った。
時々、指導していただいたが、ある時、ポツリと漏らした。
「殿山君とやるとおもしろい。石がきれいだから」
そして、師範が、初段のおじいさんにこう告げた。
私が、3段くらいの格付けの頃だった。
「6段の人に打ってもらうより、殿山君と打ってもらった方が勉強になるよ」
自慢めいた懐古話になってしまったことをお許し願いたい。
今回の趣旨は、力づくの対決をしても、かえって上達の妨げになることがある、ということが伝えたいことの主旨である。
囲碁では、「効率のいい形」を学ぶことが、上達のコツである。