今に始まったことではありませんが、大学入学の難易度を示す偏差値ランキングというものがあります。
これは、大学だけでなく、高校、中学にもあります。
この偏差値で、その学校に入学しやすいか、そうでないかの目安がつきます。
偏差値競争と言われ、上位の優秀な学生から、順番にタグ付けされるようで、好ましくないと言われることの多い偏差値です。
しかし、この偏差値も、すべて有害なわけではありません。
私が中学受験をした時、実質的に通うことのできる学校が2つに限られていましたから、偏差値はさほど重要ではありませんでした。
まず、目指す学校の試験に合格すること。
そして、その次は、完全なる抽選くじを引くこと。
これがすべてでした。
現在は、事情が変わり、同じ私の実家から受験できる中学校が少なくとも6つはあります。
その中で、中くらいの成績でも入学できる学校ができたことは、うらやましいことです。
当時の私には、そういう選択肢はありませんでしたから。
ですから、易しくても難しくても、2つしか選ぶことができなかったのです。
大学になると、親元を離れることを考えますから、学校を選ぶ幅が広がります。
そこに、偏差値が目安になります。
私は、実家に近い大学に通いましたが、全国に出てみると、名の通りが悪いので、どこかの旧帝国大学を出ていたら、少しは、格好がついたかな、という、しょうもない小さな悩みを持っています。
さて、それはさておいて、センター試験を受けた後の偏差値と、1次試験と2次試験の配点を勘案すると、目的の大学には、かなりの確率で入ることができるという安心感がありました。
その人の個性で、どうしても上を目指したいという人は、何回か浪人しても、その時の実力と同等以上の偏差値の学校の試験を受けます。
一方、経済状況などによって、制約がある人は、安全な道を選びます。
私は、経済的に難があるため、リスクを避ける選択をしました。
これは、各々の境遇や考え方によるもので、どちらがいいというものではないでしょう。
それより、大学に入って、何をしたいか?
さらには、社会に出て、どうしたいかということを見据えていくことの方が重要です。
偏差値を目安にして、学校を選ぶことができるということは、実は、1つのメリットであるのです。
なぜ、そんなことを今更考えたのか。
これは、現在、通っている、卓球教室やクラブで、こういう制度があったら、いいのにと思ったからです。
卓球において、まったくの初心者が、偏差値30とすると、私は、それより少しだけましな、偏差値40くらいに位置していると考えています。
まったくやったことのない人よりは打てるが、経験者には、勝てない。
経験者の平均が偏差値50とすると、私は、それより低いのです。
だから、私は、偏差値40〜50くらいの人と練習したり、試合をしたい。
しかし、会費をとらない自治クラブも、会費が必要な教室も共に、偏差値60以上の人ばかりなのです。
ですから、
・自分の練習をつけてもらうには、相手に気の毒
・試合をすれば、徹底的に負ける
というマイナスのスパイラルにはまっています。
労力はかけるとしても、偏差値的にちょうどいい相手がほしいのです。
クリアする問題が易しすぎたら、上達しにくい、難しすぎたら、行きづまる。
偏差値で選ぶことのできる世界には、一部、よい面もあるということです。