「禅」では、答えようのない難問を与えて、相手を試みる、
公案というものがある。
例えば、
「両掌(りょうしょう)相打って音声(おんじょう)あり。
しからば隻手(せきしゅ)に何の音声かある」
というようなものである。
両方の手を打ったらむろん音がするが、
では片手の音はどういうものなのかという意味の質問である。
河合隼雄氏の講演で、隻手の音声について触れられていた個所が印象に残っている。
これは、家庭内暴力を行っている子に対して、
どうしたらよいのかという一つの提示であった。
回答ではあるが、
同時にそれ自体が質問でもある。
ただ、それに対して、何を言うか、何をするか、決められた答えはない。
禅の公案みたいに、何度も否定されるかもしれない。
あるいは、もしかすると、一発KOみたいに決まるかもしれない。
大切なことは、覚悟の問題で、
「自分がその問いに対して、どのくらい人生をかけて答えているのか」
ということを問われているという。
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具体的な話は、別の本から引用した例。
ある男の子は親に対して、過剰な要求をし、
その要求が通らないと暴力をするという関係があった。
雑誌がほしくなれば、すぐにコンビニに買いに行けという。
ゲームがほしくなれば、夜中でも買いに行けという。
かなわないと、暴力の毎日だった。
ある日、その子がこういう要求をした。
「バイクを買え!」
その子は、バイクの運転免許を持っていない。
年齢も足りない。
しかも、バイクを買うお金があるかどうか。
できることは何でもしようと覚悟していた親だったが、
これだけは、どうしても譲ることができないと考えた。
それで、暴力も見に甘んじる思いで、
子どもに精一杯の提案をすることにした。
まず、バイクは免許がないので、与えることはできないこと。
それから、バイクは大変高価なものなので、それを買うためには、
今までお前の通帳に預金していたお金を引き出さなければならない。
そのお金は、お前が将来、何かをしたいとか、
本当に困った時に使う予定でためていたものだ。
今、バイクを買うと、そのお金がなくなるけど、いいかと尋ねた。
見せられた通帳を眺めながら、子どもは、暴力をする代わりに、悪態をついた。
「ふん、稼ぎの悪い親め!」
そう言い残して、去っていった。
しかし、それからは、何かを思ったのか暴力は止まったという。
いくらかして、自分は進学したいから、
そのお金を使わせてくれないかという希望を言い、穏やかになった。
この、バイクを買え少年と親の問答が、隻手の音声のひとつの回答なのだろう。
この問題には、同じ答案は通用しない。
いつも自分の存在をかけた答えかをみられている。
河合隼雄氏の答えとお寺さんの問答が酷似している所がおもしろい。