2017年8月27日
困っていないと、実感できない

精神疾患について、理解されないことがままある。
それは、健康な人には、分からないだろう。

精神的な薬を内服することに嫌悪を覚えている人もいる。
偏見もある。
しかし、薬を飲むことによって、かなりの苦しみから解放された方もおられる。
また、仕事ができなくて、生活に困っていた方が、普通に生活できるケースもある。

根性論では、解決できない問題が溢れていることを知ってほしい。
貧困問題もその1つである。
特に、海外での貧困は、いくら努力しても抜けられない壁が待ち構えていることが多い。
実際、内線で戦争状態にある国で、どのようにして、貧困から、安定した生活に辿り着くことができるのだろう。

能力と努力だけでは、報われない状況が存在する。

私が、肩こりで困っていることに対して、同じように困っている人に運動をするセミナーを開催しようとしたら、嫁に鼻で笑われた。
嫁には、肩こりがない。
もう一人の若い職員も肩こりについて、困っている様子はない。
だから、セミナー代金については、100円でも払うのは嫌だという。

あなたは、受講する必要がない。
困っていないのだから。
でも、眼瞼下垂になった時、困って遠くの病院で治療を受けたことがあるでしょう。
人は、困り具合に応じて、お金もかけるし、労力も使う。
ただし、問題ないことに対しては、びた一文も払いたくないものだ。

私は、30年間、肩こりに悩まされてきた。
整体やマッサージにも何度も通った。
どのくらいの金額を使ったか分からない。
でも、マッサージでほぐれたら、また受けようと思う。
困っている人には、切実な問題なのだ。

私は、何でも集客して、お金を稼ぐ方法をとっていない。
困っている人で、自分が手助けできそうなことに限っている。
肩こり解消運動は、自分でやってみて、すごくよかったと実感している。
だから、同じような境遇の人だけを対象にしている。

腹がいっぱいの人に食事の案内をしても仕方がない。
私は、困っている人の手助けをしたい。