日本では、日本茶が中心に飲まれている。
家庭でも外食でもよくお茶が出される。
日本のお茶は、奈良時代に外国から入ってきたと推定されている。
外国と言っても、その頃は、遣隋使や留学僧からもたらされたものだろう。
その頃のお茶は非常に貴重で、貴族や僧侶など限られた人たちだけが口にできるものだった。
鎌倉時代には、武士階級にもお茶が広がっていった。
そして、安土桃山時代に登場する、千利休らによって「茶の湯」が完成し、豪商や武士に浸透していった。
今でもそうだが、茶の湯には作法があり、儀礼がある。
一般庶民には似つかわしくないものであった。
江戸時代の中期になって煎茶が編み出された。
後に幕末近くで玉露の製法が生み出された。
また、江戸時代にお茶の飲み方や製法が現在と同じくらいに発展した。
庶民に飲まれていたお茶は、簡単な製法で加工した茶葉を煎じたものだった。
鮨屋では、お茶のことを「あがり」というから、そういう簡単なお茶は、もう庶民にも広がっていたのだろう。
明治時代になって、お茶は重要な輸出品となる。
明治20年までは輸出総額の15%〜20%を占めていたということだから、香辛料のように、東洋の秘宝と呼べるものであったのかもしれない。
そのため、産業として、茶園が造成されるようになった。
茶園の形成は、流通、仲買人、茶問屋などの形成に影響を与えた。
しかし、後に海外では、インドやセイロン紅茶を取り入れるようになり、花形の輸出産業であったお茶産業は衰退した。
変わって、大正末期から昭和初期になって、お茶は、国内向けの嗜好品となり、日本人の生活に根付いていった。
イギリスでは、アフタヌーンティーといって、午後にお茶を飲む習慣があることをご存じの方は多いことだろう。
イギリスは、インドを植民地としていたから、紅茶を安く手に入れることができ、またイギリス国民の嗜好にもあっていたものと思われる。
日本のお茶は、江戸時代には完成していたにもかかわらず、海外には浸透せず、日本人が飲むものとして生き残った。
この世界でも、日本のお茶は、独自のものとして、ガラパゴス化していった。
つい最近でも日本の形態は、ガラパゴス化しているものがあり、ガラケーと呼ばれている。
どうやら日本人は、入ったものを独自に発展させ、他国で使われなくても好む人がいれば自分たちの使いやすいようにして残す習慣があるらしい。
日本の文化のガラパゴス化は、他品種に及ぶようだ。
日本ではなじみのある天ぷらも、元は400年ほど前にポルトガルから入ってきた。
こうした外来の食べ物が日本の独自の手法で花開いたことは見事である。
これも日本のガラパゴス化の一種であるが、近年になって、鮨とともに天ぷら屋にも裕福な外国人が食事に来るようになった。
一度収縮して、後に拡張するガラパゴス文化を日本人は、もっと誇りに感じていいように思う。