もったいない話であるが、正直、食事をとることが苦痛に思えることがある。
1 体調が悪いこと
これが最も多いこと。
病気である場合が多いが、二日酔いの時も食べることができない。
二日酔いは、贅沢病であるが。
2 食事にかかる経費が尋常でない時
高額な食事をする時、その症状が出てくることがある。
前持って、値段が分かっていれば、覚悟ができていることが多い。
しかし、いかにも高級店で、どれくらいの金額がかかるか分からない不安な時にそういう状態に陥る。
3 太っている自分が嫌で、ダイエットをしたい時
食べたいが、食べることに罪悪感を抱く。
4 時間がない時
急いであせっている時には、「もうこの先はいいから」と言いたくなることがある。
実際、デザートなどを遠慮して、早めに切り上げたことがある。
5 続けて美食をする時
うまいものを命をかけて食する覚悟のない庶民に結構起こりうる現象である。
貴族は、食事を食べて満腹になったら、無理矢理吐きだして、また次の料理に手を出していた。そういう飽食を課している特別な人がいる。
だが、我々の場合は、ランチとディナーの両方をコースで食べると、もう次がない。
翌日の朝は勿論、ランチまで食べる気が失せてくる。
今回、正月に温泉旅館でランチを食べてお風呂に浸かって家族の集合を待っている間、泊まり客と思われる人たちの会話を耳にしてしまった。
旅館の朝食を食べて、ランチも召し上がった(ようだ)。
ランチは、思ったよりボリュームがあって、腹にこたえたそうである。
夕食の集合を18時にしているが、食事だけずらせないだろうか、という話が出ていた。
お店としては、予約のつまっている時の時間変更は、困るだろう。
彼らとしては、18時過ぎの食事を19時あるいは20時にできないのかと考えたと思われる。
気持ちは、よく分かる。
以前、私たちも旅行に行かない代わりに、地元で美食めぐりをしたことがある。
その際、ランチとディナーを立て続けにとると、何を食べてもおいしくなくて、食べるという行為自体が苦痛であると感じていた。
朝食は抜いている状態においてである。
以前、伊豆の修善寺温泉にて、違う宿をはしごして2泊したことがある。
最初の宿で夕食をとった時、とてもおいしかった。
起床して食べた朝ごはんは、もうあまりおいしく感じなかった。
旅館を出てお昼のことを考えたが、どうやってもお腹がすかない。
軽めのおそばを食べようかと思ったが、たまたま入りかけたお店が店の前に「普通のそば屋です」という表示を親切にしてくれていて、入るのをやめたことがある。
修善寺には、いくらか離れた場所に有名なそば屋があると聞いていた。そこと間違われて、後で文句を言われるのを嫌ったのだろう。
その日は、お昼を食べないまま散策して、次の宿に少し早めにつかせてもらった。
お昼がなかったので、夜はおいしくいただけた記憶がある。
近年の栄養学では、1日3食バランスをとった食事を心がけましょうとなっている。
しかし、私自身は、この栄養学に対し、疑念を抱いている。
本当に人間にとってよい食事方法と離れているのではないかと密かに訝っている。
日本では、1日3食食べることが普通になったのは、江戸時代で、しかも街中での話であったと言われている。
人間は、飢えをしのぐため、そして、体力を出すために、血糖値を上昇させるホルモンが少なくとも数種類ある。
これに対して、血糖を下げるホルモンは、インシュリン1つしかない。
これが、現代病である、糖尿病を発生させやすく、しかも治りにくい仕組みと化している。
本来、生存に便利であった機能が、長期に及ぶと不利になるのだ。
人間の遺伝子と体質が、変異するには、少なくとも数万年はかかるだろうと考える。
そこまでの時間は我々の世代には残されていないため、血糖をあげすぎない仕組みを自分たちで取り入れていくしかない。