なまじ、見つけようとするから、かえって見当たらないと思うものかもしれない。
そもそも、生きる目的は、あるのかないのか?
目的は、初めは存在しないという見方もある。
何かをやることで、見つめることで、初めて、目的ができあがることがある。
必死で何かを遂行している間は、生きる目的を考えないことが多い。
ぽっかり空いた時間、穴ができた時に考える。
そして、わけが分からなくなる。
何をしたいか分からない時は、自分がなりたいモデル、つまり師匠を探す旅に出ることがきっかけになることが多い。
そして、師匠が見つかったら、そこにひたすら、ついていくこと。
しかし、その師匠のアドバイスに素直に従えない場合がある。
一つは、面倒だから。
一つは、自分にバリアを張っているから。
一つは、自分の我がはね返すから。
人は、変わろうとすれば、変わることのできるものだが、大きく変わるチャンスというのは、存外少ない。
今の自分の敗北を認めて、今ある自分を捨てて、階段を降り、一番下の階に行き着くことができるかどうかが鍵になる。
一番下まで降りれば、後は上がるだけだ。
上がっていく途中に、人生の目的が見つかることがある。