2015年5月24日
味の分かる人も必要ですが、味が分からない人も貴重かもしれません

日本食は軒並みうまい!
海外に行った時、ほぼ必ず感じる。

フランスで食べたフランス料理も思ったほどおいしくなかった。
イタリアの食事はおいしいと聞いていたが、ツアーがおいしくない店ばかり選んでいたのか、噂とは異なっていた。
北欧は行ったことがないが、キリスト教の影響で、料理においしさを求めてはいけないという文化があるらしい。

日本人でまっとうな味覚をもった人がまじめに飲食店を経営すると、儲かってしまうという。

ミシュランの星がもっとも多い都市は東京。
京都には美味しい店が多い。

それでも、おいしいと思う店は10に1つか100に1つだろうから、おいしい店は貴重な存在である。

一方、安売り店は様々だ。

吉野家は、食べると時に気分が悪くなることがあるが、そこそこ旨いと感じることもある。
一方、すき家は、受け付けなかった。

首位の吉野家をすき家が抜いたのは、過去の話になるが、私にはその理由が分からなかった。
分かるのは、ただ値段が少し安いということだけだ。

その少しの安さを求めて、客がなだれこむという現象は信じがたい気がする。
しかし、事実は認めなければならない。

世の中には、味は二の次という層がけっこういる。
味が分からないという層もそこそこ存在する。

マクドナルドは、20年前と比較して、値段は安くなったが、味は落ちた。
それでもよく通う人は行く。

「味が分からぬ」という人たちも世の中を動かすために必要な存在なのかもしれない。
味が分からない方が、災害時や戦争が起こった時に有利になる可能性がある。

神はいろいろな種をつくったものだと思う。