2015年7月22日
若い頃、聞けなかった曲が好きになった

学生の頃、モーツァルトばかり聴いていた時期があった。

朝、起きると、オーディオを立ち上げ、すぐにモーツァルトのCDを流す。
寝る前に電源を落とす。
時には、電源を消す前にいつの間にか寝ていて、続けて曲を流していたこともあった。

時は、映画「アマデウス」が、アカデミー賞を受賞した頃のことだ。

あの頃は、自分のはやりでもあっただろう。

そして、なぜか聴けない作曲家がいた。
ベートーベン、シューベルト、シューマン。

人間臭さが漂い、嫌気していた。
ベートーベンが大作曲家と知りながらも、何となく敬遠していた。

今は、車のHDDにベートーベンの交響曲全集が入っている。
ベートーベンは、奇数番号の曲が特にウキウキする。
「のだめカンタービレ」の主題曲になったベト7がかかると、心も動く。
最近では、第3番「英雄」が気になっている。

自分が俗になったのか。
というか、元々、俗であった自分を認めたくなくて、孤高の存在としてありたかったために、人間味あふれる作曲家を敬遠していたのかもしれない。

クラシック音楽を聴かないという人もいるだろうが、聴く人では、一生に聴く作曲家の配分が大方決まっているという記事を読んだことがある。
まあ、それは、一部はあたっているが、概ねよく聞く作曲家が偏っているという話だけなのではないか。

こうして、私は、今、俗の中に身を浮かべて楽しんでいる。