老いたウェルテルの悩み(参照:ゲーテ作、若きウェルテルの悩み)
最近、80歳くらいの年配女性のことば
「わたし、最近、何のために生きているのか分からなくなっちゃいました」
とポツリともらしました
私は少考して、
「それって、貴族の悩みじゃないですか?」
と質問を投げかけてみた。
(それは、なんのことしょうか?)
という顔つきをして、女性は私の顔を見返しました。
私は、歴史のことを思い出し、彼女の心の動きの異変を説明しました。
人の脳は、石器時代から進化していない
同じ人が同じ間違いをおかします。
世代が変われば、同種の間違いをまた、おかします。
ゆえに、歴史は繰り返すことになります。
人間は、理性より、感情により大きく動くものです。
民衆が大きな力を発揮する時、必ず大きく感情を揺さぶられていました。
ゆえに、私は、感情に基づいた人間心理で歴史を理解する試みを行っています。
なぜ学校の先生は教えてくれないのですか?
以前、時間のある時、何気なく職員に日本史の話をしたことがありました。
(大化の改新の後、日本は「公地公民」になりました。
しかし、後に公地公民の制度が崩れ去り、いつの間にか武士の時代になっていました。どういう過程でそういうことが起こったのでしょうか?)
という問いに対して、15分から20分くらいの説明を行いました。
出した用語は、誰でも知りうる内容でした。
それにもかかわらず、説明した後、職員から、
「そんな話、学校で習ったことありません。学校の先生は、なぜ、そんな大切な話を教えてくれなかったのですか?」
と詰問され、逆にこちらが驚くことになりました。
私の話はすべて、中学校の教科書あるいは参考書に記述してあるものしか引用していなかったからです。
そのため、学校では、歴史のできごとと年号は教えてくれるけれど、歴史の流れであるストーリーが語られていないのかもしれないと考えるようになりました。
この話は文章に書き出すには、あまりにも長いため、もっと短く説明できる例を紹介します。
ペリーの来航は知られているけれど、けっこう誤解されている
幕末、1853年ペリーが日本にやってきたという歴史的な時事を多くの日本人は知っていることでしょう(年代は別にして)。
そのペリーの来航で幕府はあわてふためきました。
アメリカではありませんが、1840年のアヘン戦争で清国はイギリスに敗れていますから、欧米の列強と戦争して勝てる見込みがないと知っていたからです。
「太平の眠りをさます上喜撰 たった四杯で夜も寝られず」
という諧謔の歌が詠まれました。
欧米列強のそれまでの振る舞いからみた場合、日本が植民地になるという恐怖があったわけです。
そのため、幕府は1年間の猶予期間をもらって、翌年返事をすると、一度ペリーを送り返すわけです。
その翌年の1854年、日米和親条約が結ばれたことは歴史で知られたことです。
さて、ここで語られていない事実があります。
確かにペリーの来日により、日本の鎖国は終わりを迎えます。
一方、アメリカの総督でやってきた司令官では、ペリーが初めてだと思っておられるかた、それは間違いです。
ペリーの来航7年前の1846年、ビットルというアメリカの司令官が東インド会社から訪日しているのです。
「えっ?日本はその時、開国を考えなかったの?」
と思われる方、センスのよい人です。
その通りです。
しかし、その年は、日本は外国(異国船)船打払令により、ビットルを追い返したのです。
ビットルがやってきた船が2隻で、装備も十分ではなかったのです。
そのため、船が錨をおろした時、その周りを多くの日本船で取り囲み、動きをとれなくして、ビットルは、やむなく撤退したというわけなのです。
一方、ペリーがやってきた時、船は4隻に増やし、その内の2隻は蒸気船でした。さらに巨大な大砲を積んでおり、日本への攻撃を可能にしていたのです。
つまり、ビットルは力で追い返したけれど、ペリーは武力で跳ね返せない艦隊を編成してやってきたのです。
さらによくある誤解として、ペリーの所属はアメリカですから、太平洋を渡ってきたと思われているかもしれませんが、実のところ、ペリーはアメリカの東海岸にあるニューフォークという都市から、アフリカの最南端を通り、インド洋、東シナ海を経て、大回りで日本に到着したのです。
当時のアメリカは、西部開拓時代にあり、艦隊を収納できる軍港が西海岸に存在しなかったのです。
日本という国は、極東という言葉のとおり、欧米諸国にとって、世界で一番遠い国だったのです。
そういう事実は、案外、教えられていないようです。
歴史の鉄則:人は力、金、感情で動く
人は感情で動きます。
理性で動くこともありますが、それはごく一部分です。
・健康に悪いと思ってもタバコがやめられない
・夜にお菓子の袋をついつい開けてしまう
・散歩など少し運動をしたらいいのにめんどうで行えない
・人にやさしくしたいけれど、それができない
・貯金をしたらいいと分かっているのに、欲しいものに使ってしまう
・あの時、もっと学習していたらよかったのに、その機会を逃してしまった
など、頭で理解できても体が動かないことが多々あります。
そうです。
人は、考える葦である前に感情の動物なのです。
人の集合体である、歴史は、なおさら理性で動くことはありません。
どこかの王がよい振る舞いをして、世の中がよくなったとしても、それは、理性で歴史が動いたわけではありません。
王は、権力と金を持った人物なので、世の中を動かす力があり、たまたま、それがよい方向にいっただけなのです。
反対に王制の政治で悪政を行った王の振る舞いの話は、枚挙にいとまがありません。
歴史という人の意識の集合体のなす行為は、
1 力(60%以上)
2 金(30%)
3 感情(10%以下)
というピラミッド構造で構成されていると私は考えています。
※ 力、金が占める配分は時代により、または情勢により変化します。優先順位としてご参考ください。
お上に逆らうと、投獄される
先ほど述べた、力、金、感情の法則をもう少しわかりやすく説明します。
比較的、商人が自由に活動出来るようになった江戸時代で考えています。
武士に金を貸していた商人は、借り手に対して、有利な立場にあります。
といって、貸し手に何を言ってもいいわけではありません。
怒った武士は、切り捨て御免を決行することができました。
(ただし、罪なき人を殺害した場合、その武士も切腹しなければなりません)
また、藩主や幕府に対して、あからさまに批判や愚弄すれば、罪人として牢屋に放り込まれます。
金を持っている者は有利ですが、力(武力)にはかなわないわけです。
大名の参勤交代の時、庶民は道の端によけ、土下座して頭を下げていなければならないことになっていました。
幕末、神奈川県の生麦という地で、参勤交代を邪魔したとして、イギリス人が切り捨てられました。
これが、生麦事件です。
そのイギリス人を切りつけたのが、薩摩藩の人間。
そして、その翌年、薩英戦争が勃発しました。
結果は歴史が証明しています。
1人の人間に対して、行使した力は、イギリスの力により報復されて、薩摩は敗北しました。
歴史の法則として、武力を使うにも金が必要ですが、まず一番強力なのは、力なのです。
フランス革命は、金のない庶民の感情が成し遂げた大騒動
1700年代、ヨーロッパには王制がひかれていました。
フランスでは、ルイ16世が君臨していました。
王妃は、マリー・アントワネットです。
当時のフランスは、歳入の9倍の赤字を抱えていて、財政再建を目指しましたが、その願いはかないませんでした。
増税により、パンを食べられなくなった庶民は、貴族とともに怒りを爆発させて、王制を覆しました。
このように力が一番の勢力ですが、庶民が感情により終結した時の力は、時の権力者を超えることがあるのです。
当時、ナポレオンが、勢力を拡大させました。
彼は、ほどなく失脚しましたが、その猛威はやはり力によるものなのです。
これまでの歴史を振り返って気づくこと
さて、ここで、老年期の女性が語った貴族の悩み(老いたウェルテルの悩み)のことに話を戻します。
その方は、意味が分からないので、問い直してこられた。
そのため、私は、追加の質問を行うことになりました。
「子ども時代のことはどうでしたか?」
「私が子どもの頃は、もう生活していくので精一杯で、なんだかんだ考える余裕なくすごしてきました」
80歳代の方は、戦争を経験しています。
戦前、戦中、戦後は当然のことながら、食糧難で、命を守ることが第一でした。
戦後落ち着いて、東京オリンピックも終わり、日本が高度成長期になると、次第に豊かになっていきました。
給料が上がっていきました。持ち家を持つ人も増えました。世界第2位の経済大国にのし上がりました。
バブルの崩壊から、パッとしない日本ですが、それでも庶民はやせていく人より肥満で困る人の方が増えています。
たまに、老人の孤独死や餓死者が出ると、これは大変だとテレビニュースで流れます。
「こんな時代、これまでにありましたか?」
江戸時代でも数多くの飢饉があり、特にひどかったのは、享保の飢饉、天明の飢饉、天保の飢饉の3つです。そういう時には、必ず一揆と打ち壊しが増加しました。
大正時代でも米騒動がありましたね。あれは、これでは飯が食えないという庶民の怒りの表れです。
世界的には、まだ飢餓で苦しんでいる人が少なくとも10億人以上存在します。
日本においては、たとえ安物であっても、庶民が腹一杯飯を食って、生活しています。こんな時代が過去にありましたか?
「いえ、なかったでしょう」
「そうですよね。飯を食うことに困らなくて、さて、退屈だから、何をしようか、このまま生きていて楽しいのだろうかと考えるのは、貴族のような特権階級だけが持つ悩みだったのです」
歴史的にみて、日本は、初めて経験する飽食の時代なのです。日本で廃棄する弁当や残飯を集めてうまく配布することができたら、世界の餓死者をなくすことができるという話もあります。
だから、私は「貴族病」と呼んだのです。
そこまで話すと、年配の女性は、何となく腑に落ちたようでした。
私たちは、希有の時代に生まれ育っています。
確かに貧富の差はあるけれど、公的制度を利用すれば、食うものに困らないという時代はこれまでなかったことなのです。
そういう事実を知るために歴史は役立ちます。
個人史を知ること
これまでお話したのは、人類の歴史のことですが、心療内科の外来におきましては、人類ではなく、個々人の歴史が参考になります。
それぞれの方に生活歴があり、その結果、現在の生活状況があります。
発達障害を診断するためには、当然のことながら、生活歴を聴取する必要があります。
うつ症状においても、二次障害か否かの判別が必要になります。
さらに、長い病歴のうつ病の人に過去に虐待などの体験があったかどうかも大きな参考になります。
患者さんは、現在の生活の改善を求めてこられます。
そのために、自分史を読み解くことが必要となるケースが増えてくると想定するのです。