2019年1月29日
自然界では、親も助けられない

さきほど、動画を観ました。
熊の親子が、雪の崖を登っていくシーンです。

急な勾配の雪山を親子が揃って、登っていきます。
母親と思われる熊が先頭、小熊は、その後です。

厳しい自然の中、ここを抜けないと、食料もないし、安住できないのだろうと想像します。
まさに、死活問題です。

その動画で、最初は、仲良く揃って登っていく様子が映し出されていました。
そして、親熊が、斜面を登り切って平地にたどり着きます。

そして、小熊も…
というと、そううまくはいきませんでした。
せっかく登った斜面から滑り落ちます。

落ちたところから、また登っていきます。
同じ経路を3回ほどトライして、そのすべてを失敗しました。

親熊は、上から、なす術もなく、見ています。
自分が行って、引っ張り上げることができないことを承知しているようです。

小熊は、その後、進路をかえて、上に登っていきました。
しかし、その進路でも頂上近くに来ながら、滑り落ちます。

いくどか挑戦した中で、滑るのを止めることができないで、長い距離を滑降して、雪をかぶっていない岩に衝突してようやく落下が止まりました。

そして、いくど目かも分からなくなった再挑戦です。
そこでも、すぐには登れず、上にいる親熊は、落ち着かずに頂上付近をぐるぐる徘徊しています。

そうして、何度も挑戦して、時が経った後、ようやく小熊が頂上にたどり着きました。
待ち構えていた親熊は、平地を走り、小熊もそれについていきました。

多分、こういうことは、どこでも起こっている光景でしょう。
人が知らないだけです。

自然界では、弱いから、小さいからといっても、助けてあげられないことが多いことでしょう。

「生きる」ためには、自分で自分の身を守り、「自力」で努力していかなければなりません。

多分、自然界の法則では、当たり前のことです。

人は、そう思っていない人が多すぎる気がします。
自分が使ったお金の始末ができないので、だれかに頼む。
働けるのに、働かないで、食わせてもらう。

そういう例が多すぎる気がします。

助け合いは、よいことですが、その前に自助努力は必要です。
戦争や大恐慌が起こった時には、自助努力をしない人を助けようとする人は、ほとんどいなくなると考えられます。