2012年6月8日
絶好調にみえた宮崎駿監督にも不遇の時代があった

今回、ご紹介するのは、

「絶好調にみえた宮崎駿監督にも不遇の時代があった」

という題材です。

映画監督としては、
風の谷にナウシカからブレイク、
魔女の宅急便では邦画興行成績1位を獲得、
以後、崖の上のポニョまで駆け抜けるように人気を博します。

多少の波はあるにしろ、
絶好調を保っているように見える、
宮崎監督にも不遇の時代があることを
知っていましたか?

実は、宮崎監督が一番最初に手がけた映画作品が、
興行的不振のため、
しばらく映画にたずさわれない時期があったのです。

この間、4つのオリジナル企画を構想していたものの、
実現はなりませんでした。
映画プロデューサーの鈴木敏夫氏
(後のスタジオジブリの代表取締役)が、
ある映画の企画を徳間書店に出したものの、
「原作のないものは、無理」
ということで却下されました。

後に、1982年にアニメージュで、
その企画の連載が始まり、読者がつき
1984年にアニメーション映画として、
製作、公開されました。

それが、「風の谷のナウシカ」です。

ナウシカは当時、斬新で、
大ヒット躍進をとげ、
以後の宮崎アニメの先鞭となりました。

さて、それでは、宮崎監督が失敗した
アニメ映画は何だったのでしょうか?

観たことのある人や、ファンには
信じがたいことですが、

その題名は、

「ルパン三世 カリオストロの城」

だったのです。

後にこの映画は、多くの人の支持を得て、
現在にいたるまで何度もテレビ放映されていますが、
公開当時は、宇宙戦艦ヤマト、
機動戦士ガンダムという大ヒット作が
人気を凌駕していたため、
知名度で敗北することになりました。

さらに、不振の影響で見送られた残り3つの企画が実現。

それは、

「となりのトトロ」 であり、

「もののけ姫」  であり

「天空の城ラピュタ」 でありました。

もののけ姫なんて、興行収入記録を塗り替えた映画ですね。

宮崎駿監督が、あの時の不遇に負けず、
楽しませてくれる映画、
感動を与えてくれる映画を
次々と世に出してくれてよかったと
私は思っています。

あの不遇の時代、宮崎監督は
何を頼みにしていたのでしょうか?

それが語られているのを
聞いたことはありませんが、

「自分を信じること」

ではなかったかと
私は、思うのです。

@おまけ
知人に聞いて、知った話ですが、
長編の宮崎アニメの題名には、
かならず「の」がついている