2016年3月23日
祈祷は、ありがたいか、否か?

昨年、出雲大社に詣でたことがある。
そして、出雲大社に行く前に、日御碕神社にも参拝した。
お参りした日は、平日で、しかも天候がよくなかったため、参拝する人が少なかったが、本来、人出の多い神社らしい。
当日は、人が少ないため、ご祈祷もすぐに行って下さったが、多いと順番待ちとなる。
たまたまのラッキーだったわけだ。

日御碕神社の役割は、知名度と比較して大きい。
伊勢神宮は、昼を守る神社に対して、日御碕神社は、夜を守る神社であると言われている。
伊勢神宮に比肩することを存ぜぬ無知であったことよ。

さて、一般に用のない人は、賽銭箱のあたりにある会談前までは行くことができるけれど、その先の出入りは、禁じられている。
ただし、祈祷してもらう時は、階段から神社の本殿に上がることができる。
そして、広い畳の中央に布陣した後、神主さまが、太鼓を叩いてから、ご祈祷してくださる。
祈祷には、自分の名前と住所が読まれていることが分かる。

外からの吹きさらしであるが、一つの広い部屋として考えると、その空間を自分たちだけが占拠して、自分たちだけのために、祈ってくださる様は、大変エクスクルーシブな空間として認識できる。
例えが少し妙かもしれないけれど、空調のきいてないスパみたいな感覚がした。神社の空間と神主さまの時間を一区切りの間でも独占できるからだ。
それで、祈祷料が5000円なら、安いと思った。

日御碕神社の社の中には、龍蛇神社が入っており、その龍蛇神社を参拝するためには、祈祷をお願いして、社に上がる必要がある。
こうした必要性もあって、ご祈祷をお願いした次第でもある。

さて、正直に言おう。
日御碕神社でのご祈祷は、ありがたかった。そう感じた。

次に参拝した、出雲大社。
そこには、お酒だけをお供えした。
祈祷はお願いすればできるのだが、何十人もひとかたまりになって、受ける様を想像すると、薄っぺらく感じてしまった。
霊験あらたかな聖地でこんな感想を言うのも気が引けるが、個人的にはそう感じた。

祈祷料は、5000円、1万円、2万円…7万円など、たくさんの段階がある。
祈祷料が上がれば、御利益も増えるのか?
私には、分からない。
安い祈祷に追加する祈祷があるのかもしれない。
が、値段が変わると、効果が大きく変わる祈祷というのも怪しい気がする。
それなら、安い祈祷では、意義がうすいのか?

安い祈祷は効果が少なく、高い料金の祈祷であれば効果が高いというならば、私は、ひとつの例を思い浮かべる。
それは、無料だと、性能のよくない竿しか手に入らないが、料金を支払うと、いい魚が釣れる竿を買うことのできる、GREEの魚釣りゲームだ。

人のしあわせを願う宗教と、ネットゲームの仕組みが同じならば、あまりにも情けない話だとは、思わないだろうか?

さて、出雲大社の祈祷であるが、安い5000円の祈祷を20人の人が受ければ、10万円。
1日に10回の祈祷を行えば、100万円となる。
これは、先日見た、大変人の少ない日からの計算であるから、多い日であれば、この5倍の500万円/日という祈祷料の収入も可能なのではなかろうか?
これは、まさに錬金術と言える方策であるが、非難しているわけではない。

出雲大社くらいの規模の神社であると、人員コストや修繕維持コストも莫大な額になるであろう。
一定期間ごとに修繕しないとならない建物の維持費も年間数億円にのぼるのではないかと想定する。
だから、神社がボロ儲けともいかないのだろう。

大勢で行う祈祷も、参拝者が多すぎて、個別にすることができないと考えれば、合理的である。
出雲大社の祈祷は、日御碕神社での祈祷ほど心地よくないかもしれないが、否定するつもりはない。