物を片付けられない人は、大変多い。
かくいう、我が家も片付けは苦手だ。
部屋が荷物でいっぱいになるとか、一部屋まるごと、荷物部屋だったこともある。
こうした流れを積極的に断とうとするのが、断捨離である。
断捨離は、単純な片付けとは異なって、心を整理するという一面もある。
やましたひでこ氏が著作を書き、「断捨離」は、登録商法されている。
同じ時期に有名になったのが、近藤真理恵氏が表した「人生がときめく片付けの魔法」という著書で、これもミリオンセラーとなっている。
いずれの方も、片付けに並々ならぬ関心を持っており、それを生き方や人生の方向を決めることにも生かしている。
こうした徹底した片付けを実践する人を「断捨離アン」や「ミニマリスト」と呼ぶことがある。
私は、こうした本が出た後もそうであるが、出る前から、ミニマリストと出会ったことがあった。
彼らの物を持たないこと、捨てることの徹底ぶりは、強烈だ。
大変愛用した車が、何かあった時には、その翌日に売り飛ばされていた。
部屋に何もないことに誇りを感じていた。
物を片付けることにおいて、人後に落ちない。
一方、たまたまかもしれないが、そうした彼らにも苦手なことがあった。
生活や人間関係で、取り込まなくていいこと、捨て去ったらいいことを持ち続けていることを発見した。
彼らの頭の中は、「パンパン」だった。
最初は、「あれ?」と思った。
物を片付けられるからと言って、「こと」を片付けられるとは限らない。
それは、別の問題であることを知らされた。
もしかすると、頭の中を片付けるために、先に物を片付けるのかもしれない。
不思議な発見をして、当初は違和感を覚えたが、実は、大いに関係があるのかもしれないと思い始めた。
現在、ことを片付けるのには、どうしたらいいか思索中である。
これは、物以上に深い心理と結びついており、難解なのかもしれない。