2017年12月26日
東京では、時々、有名人をみる


今年の10月の終わりに、東京に出かけました。
帰りの日曜日は、台風の影響で、飛行機が飛ぶかどうか怪しまれました。

週末に加え、遅延や欠航もあったため、空港には、大勢の人がかたまっていました。
ちょうど、昼時のこともあり、ランチを食べるにも席が一杯でした。
どの店にも、ウンザリした顔の客が順番待ちしていました。

出発のエリアでは無理と判断し、別の場所で空いている店を探しました。

さいわい、到着ロビーは、まだ盲点だったようで、店に空席がありました。
そこを確保して、昼食と休憩をしました。

保証はありませんでしたが、1便早めた時間の運行は、見込みが高いようでした。
その時間まで、2時間弱あるため、比較的ゆっくりすごしました。

その間、ボーとしていると、友人に声をかけられました。
「梅宮アンナ」がカートを手に持ち、立ち止まっていました。

「ああ、確かに見たことのある顔だな」
東京では、有名人とよく会うというのは本当のようです。

以前、ミシュラン三つ星の鮨屋を訪れた時にも、名前は思い出せませんでしたが、メディアで見たことのある人がカウンターに座っていました。

お店の客の半分は外国人でしたが、日本人でも、話しかける人はいませんでした。
東京の人たちは、おとなのようです。

ただ、私は、学生時代の頃から、有名人がいるから、気になるということはありませんでした。
地方の有名な鮨屋に、有名なプロゴルファーが来た時、他の友人は気づいていましたが、私は知りませんでした。
また、教えてもらって、存在を知っても、「だから、何なんだ?」という気持ちでした。

ついこの前、ホリエモンが言った言葉になるほどと思いました。
「一緒に写真とってくれという人がいるけれど、そういう人で、成功者になった人はいないよね」
という意見に同意しました。

記念に写真に写っても、自分を高める役には立ちません。
ミーハーが他の人に自慢するくらいでしょう。

ホリエモンの写真でなく、ホリエモンの言葉で、成功したならば、一角の人間です。

15年ほど前、東京ドームシティで、小錦が経営している店に偶然入りました。
Tシャツを購入すると、小錦と2ショットの写真をとってくれるサービスがついてくるそうです。
私も、Tシャツを買って、写真をとってもらったのですが、その過程で、罵倒を浴びせられ、不快な気分になったことがあります。

芸能人であれ、そうでなくとも、自分という存在に向けて話しかけてくれた人の言葉には価値がありますが、表層的だけのふれあいには、何の価値もないと再確認したしだいです。