山の恩寵を受けると、この上ないような景観を手に入れることができる。
一方、自然が牙を剥くと、景色が地獄絵に変わり、命を落とす可能性がある。
やさしさも厳しさも含めて、それが「山」というものであろう。
知り合いで、マラソンやトライアスロンの好きな人、サイクリングが好きな人、山登りが好きな人がおられる。
山の好きな人は、話を聞いていると、それはそれはよく歩かれる。
根性が違うのか、習慣が異なるためなのか、人種が分かれるのか。
私は、本格的なものができる訓練や習慣がないため、手っ取り早い方法を利用させてもらっている。
それが、以前からある、バスやケーブルカーを使ったルートである。
今まで家族に何度も立山黒部アルペンルートの話をしてきてよかったということを伝えても信じてもらえない。
日本にそんな特別な場所があることを知らないし、想像もできないからだろう。
その理由は、5年ほど前にスイスのユングフラウの景観を見たから、日本の山に興味を示さなくなったのかもしれない。
スイスでも夏のいい日は晴れが多くなるが、それでも天候は運次第だ。
そのツアーの際、訪れたのは10月中旬であった。
スイスの山は有名である。
そして、山岳地帯は、低地よりも気温が低い。
その時、折しも寒気がやってきて、ドイツにいる時点で、手がかじかむほどだった。
ユングフラウに向かう鉄道列車の駅に到着した時も随分と底冷えした。
さて、ツアーは出発したら、問題がなければ目的地に向かうだけである。
鉄道は急勾配な道を線路の間に歯車をかみ合わせながら進んでいく。
この歯車が、この鉄道の特徴であり、またスイスの時計技術とも関係している。
道中、中間駅に停車し、昼食をとるために降りた。
その駅の海抜がどのくらいか知らないが、駅の周囲には、随分な積雪があった。
雪遊びをするのは、どこの国の人でも同じだと思った。
休憩が終わってから再び列車が進行すると、途中、窓から眺めるだけの駅に止まった。
この頃には、高度も3000mほどになり、自分では意識しなくても、動きが鈍くなってしまうことがよくあるらしい。
だから、遠くには行かないで、ギリギリではなく余裕を持って帰って下さいと言われた。
こうした中間駅を進んで行った先に、ユングフラウヨッホ駅がある。
海抜3,454mのヨーロッパで最も高い場所に位置する駅である。
ちなみに、ユングフラウは、スイスで一番高い山ではない。
また、スイスの山が最も高い山でもない。
ヨーロッパでの最高は、「モンブラン」である(標高4,810m)。
さて、話を戻す。
ユングフラウは、ドイツ語で、日本語に直すと、「若い娘」を意味するらしい。
愛嬌のある、かわいらしい山、という親しみがあるのかもしれない。
しかし、山は、しばしば牙をむく。
ユングフラウヨッホ駅に到着した時、私の息子の唇は紫色になっていた。
いわゆる、チアノーゼという奴だ。
これは、酸素不足からなるもので、高山ではよくありえる現象のひとつだ。
考えてみれば、3,454mというのは、富士山の山頂が3,776mということを考え合わせれば、その頂に近い場所である。
富士山の登山でも高山病になる人が絶えないことを考えると、当然のことかもしれない。
子どもは、年配の女性の方に手を引かれて歩いて行った。
その女性は、現役時代、総合病院の看護師長(婦長)をしていたそうだ。
私は医者であるから、医者と看護師が揃っていることになる。
かと言って、実の所、何ができるわけではない。
具合が悪くなれば、酸素を手配できればする、そうでなければ、下山して療養するだけである。
しかし、年配のやさしい人に惹かれて、私も安心をした。
駅の展望台に上がると、そこには見たことのない景色があった。
万年氷河をくぐって訪れた本当の雪山には、ハッとした。
展望台を見ると、みんなが「ワッ」と声をあげながら、旗の下に走って行った。
少しの間、みんな元気で楽しそうだった。
しかし、記念撮影を始めようとする、30秒くらい経った頃から、あることに気づくことになった。
……「手が痛い」
マイナス20度を超える氷点下では、寒さを超える痛さがあり、その苦痛に耐えられなくなるのだ。
そうして、きゃぴきゃぴしていた人達の大半は、撮影したら、「もういいよね」と言って、ガラスに囲まれた部屋に戻ることになった。
この体験は、私も含めて家族には、とても強く印象に残っている。
今まで見たことのない世界、体験したことのない世界、そういうものに接してしまったら、後は人間のする営みが小さく感じられて仕方がなくなる。
パリもきれいだったし、モンサンミシェルもまずまずよかった。
しかし、自然が営んだ造形と比較すると、スケールが異なるように思えるのは致し方ないのかもしれない。
さて、このユングフラウの景観を目にすることができたのは、本当に運がよかった。
前のツアーもその前のツアーも、さらにその前も、駅は雲の中にあったという。
景観なんてものはない。
これも自然のなすことで、人的に作りかえることなんてできやしない。
私たちは、単に運がよかったのだ。
そういう体験をした後、家族を説得して、ついに立山黒部アルペンルートに向かうこととなった。