先日、本当にあった話だそうです。
小学生が、公務員に対して、
「おれたちは、税金を払っているのだから、もっと働け」と言いました。
「君は、税金を払っていないだろう」
と言ったら、
「いや、消費税を払っている」
と返してきました。
そう言われたら、大人でも即答するのに困ります。
確かに、ウソではないですが、その小学生が持っているお金は、その子が稼いだお金ではありません。
その子が、そこまでのことを言う権利を持っているのかどうか、定かではありません。
こういう事例を聞くと、本当に個人主張が強い時代になったのではないかと感じます。
半世紀(50年くらい)前は、公務員の権力は、大きなものでした。
今は亡き、父から聞いた話です。
公務員は、書類審査に関し、庶民に威張って指示していました。
必要な書類がないと、「あれが足りないから、持ってこい」と追い返します。
そして、その指示された書類を持って行くと、次は、さらに、別の書類が足りないと追い返されました。
そうして、三度以上も足を運んだことがあるそうです。
必要な書類があれば、一度に伝えればいいのに、それをせず、徒労をさせていました。
そして、椅子に座ってのけぞっていたそうです。
さすがに、これは古き、悪しき時代のできごとでしょう。
最近は、逆に公務員に対して、過剰に主張する人が増えています。
一般の公務員だけでなく、教職員に対しても、風当たりが強くなっています。
近年、地方部では、一般企業に就職している人よりも、公務員の給与の方が高くなってきました。
そのことも関係しているのかもしれません。
今回の記事では、公務員の給料のことは、意識しないこととして、話を進めます。
個人的には、公務員がどう働くかについて、システム上で大きな問題があると考えています。
・公務員には、瑕疵がなければ、首にできないという制度上の問題があります。
終身雇用が前提となっています。
ですから、実際に仕事をしていなくても、出勤さえしていたら、給料が支払われるという実態があります。
・公務員で欠員ができた時、速やかに補充することができません。
ですから、人が足りない場合、残っている人にしわ寄せがきます。
・年度の途中で仕事が変わることがほとんどありません。
そのため、流動的な人材の活用ができません。
・意思決定に時間がかかります。
多くの会議を開いて、議論して、決定するため、単純な問題でも、時間がかかることがあります。
・責任の所在があいまいになります。
みなで、議論して、決めたことなので、誰かが一方的に悪いという問題は、汚職など、明らかな犯罪以外は、責任をとる人がいなくなります。
こうしたシステムを変革することは容易ではありません。
大きな制度ほど、変えにくいという実態があります。
私個人としては、公務員制度だけでなく、民法、商法、刑法などの大切な法律がめったに変わることなく、昔のしきたりが生きていることに、驚きを隠せません。