私は、小さい頃から宇宙に興味があった。
小学生の時は、小学生向けのマンガなど、中学生からは、ブルーバックスなどを読んでいた。
ホーキング博士が書いた宇宙論にも感銘を受けた。
ブラックホールは、大きくなるだけでなく、爆発して消滅することがあることを知った。
アインシュタインが書いた、相対性理論の世界の話も読んだ。
相対性理論の式は見たが、中高校生には難しかった。
しかし、将来、この謎を解明していくチャレンジをしてみたいと若い気持ちは思った。
大学入試の二次試験の願書を提出する少し前まで、医学部を受験するか、それとも特殊だけれど、興味のある分野に進学するか、何となく悩んでいた。
私は、西日本から外に出たことがないため、目指すなら、京都大学だと考えていた。
京都大学には、宇宙物理学科があった。
自慢にきこえると、もうしわけないが、センター試験の結果では、どちらを選んでもボーダーラインを十分に超えていた。
ただ、医師になり損ねることが嫌なので、岡山大学の医学部を選択した。
遠くに旅行したことが修学旅行以外になく、また、めんどうなので、実家のある尾道から、アクセスのよい大学を選んだ。
しかし、今、考えると、パソコンも高度な数学も研究も得意でない私には、宇宙物理の専門的研究は無理だっただろう。
不器用な自分が、高度で最先端な宇宙物理を扱うには、能力不足だったと思っている。
無難な道を選んだのか、それともどうしても捨てたくない道を取捨したのかは、今でも分からない。
さて、話は変わるが、いくつかの入門の書籍を読んだとき、この先、地球は、太陽が肥大化して、飲み込まれるか、ブラックホールに吸い込まれるので、何十億年後に、人類が地球を脱出する方法を考え出さないと種が滅びると書かれたあったことを覚えている。
この時、ハイスペックな頭脳を組み込まれている天才が、世情に疎いことを実感した。
これは、当時、中学生の私が考えても珍妙に思えた。
人類は、核兵器を大量に保有して、万が一の事態に陥った時、その存続は保証されるであろうか?
この確率は、今後、100年以内にかなりの確率で可能性があるように思われた。
他に、外部要因としては、映画「アルマゲドン」でも取り上げられた、巨大隕石の飛来である。
恐竜が絶滅した理由は、明確に明かされていないが、約6500万円前にメキシコのユカタン半島に落下した、直径10kmの巨大隕石のなせる業だという説が有力だ。
この規模の隕石が地上に落下すると、その周辺だけでなく、地球の環境を一変してしまう。
隕石が海に落下したとしても、衝突の衝撃で生じる巨大津波は、エベレストの高さを超え、地球を何周も巡るという。
また、衝突した際の爆発熱は、森林を含む広範なエリアを焼き尽くし、地球は、以後数年間、光をまともに通さぬ闇の世界に突入した。
この想像を絶する巨大エネルギーは、人類が保有している核爆弾をすべて投下した場合の被害の規模と比べても、桁違いの大きさと推定されている。
1994年に木星に直径1.2kmの巨大隕石が落下した際の観測例がある。
この時、木星の表面に、直径12,000kmという地球サイズのダークスポットを形成した。
こうした致死的な巨大隕石が落下する確率は、1億年に1回くらいありそうだ。
人類は、まず、このような試練を乗り越える必要がある。
そうでなければ、20億年後の未来はない。