2019年2月21日
学校教育で憂慮する内申点

現在でも、学校教育は、
「答のある問題」
を生徒に出題したがります。
文部科学省が、そういう指導をしているので、現場の教師も仕方がないかもしれません。

しかし、世の中に出ると、答のない問題ばかりです。
また、議論やすり合わせによって調整していかなければならない物が数限りあります。

私は、今のままの教育で、大丈夫なのか?!と思ってしまいます。

高校入試も学校がつける内申点が重視され、公立中学では、教師に認められないと、公立では、いわゆる、「偏差値の高い学校」に合格することができません。

私は、人ごとながら、悲しくなってしまいます。
そつなくこなして、反論しない、「いい子」が有利になります。
教師が、理不尽な宿題を出したとしても、文句も言わずに遂行した生徒が有利になるのです。

漢字練習の書き写しの宿題を出して、間違えると、ぞれぞれ、10回書かせる宿題を上乗せして出している教師がおられます。
「ハネ」や「払い」が少しでもテキストと異なると、課題を課しています。

生徒が勉強不足と思って、宿題を追加しているのでしょう。
しかし、無意味で過重な宿題によって、自分の勉強ができずに、反対に学力が低下する生徒が続出しました。
こういうばかげた仕組みはやめてほしいものです。
(※ただし、誤解のある批判をしてはいけないので、そういう教師は、一部の方であることを付け加えておきます)

ところが、漢字の成り立ちからすると、ハネや払いは、必ずしも必要ではありません。
これは、文部科学省の方針にも記載されています。

それを知らずに生徒に重労働に値する宿題を出している教師は、自らの知識不足を改めるために、間違いを10回ずつノートに書いて練習してほしいところです。

ーーーーー
ところで、失礼にあたったら、申し訳ありませんが、私は、日本史の見解を数人の方に語ったことがあります。

「『公地公民制』を採用していた律令国家が崩壊して、武士の時代になった経緯と理由を説明してください」という問題を提示したのです。

私は、要点をかいつまんで、概略を説明しました。
その結果(私ごとで恐縮ですが)、私が行った説明は、すごくわかりやすい、今までそんな話を聞いたことがなかったと言われるのです。
日本史は、小学校、中学校での必須科目ですので、最低2回は教わっています。
知的レベルは、平均以上にある人が、ひどく驚かれている様をみて、逆に私自身がびっくりしました。

「今まで、そんなこと、聞いたことがありません。学校の先生は、どうして、そのことを教えてくれなかったのですか?」と逆に質問されました。
その質問に対する答は、私には、分かりません。

今回、一部の教職員の批判も行ったことになりますが、全員としては、そういうわけではなく、心優しい先生がおられます。

私がつらい思いをした小学校時代でさえ、2年生の担任の先生は、穏やかでやさしくて、心地よくすごすことができました。
中学校の担任の先生もとてもよかったです。

となると、教職員のおおもとの文部科学省の方針に咎(とが)があるのではないかと考えてしまいます。
あるいは、もっと根深い構造的な問題があるのかもしれません。

ただ、1つ言えることがあります。
内申点で学校の進学が不利になるとすると、映画化された「ビリギャル」のような少女(あるいは、青年)は、未来を閉ざされる、あるいは、制限をかけられることになります。
そのことを大変、憂慮するのです。

憂慮するのは、そのことだけではありません。
こうした指向では、発達障害の人は、希望する学校に行きづらくなります。
発達障害によるハンディをなくすと唱えながら、実は、発達障害の人を蹴落としてしまう制度かもしれないのです。