2012年9月15日
同行二人(どうぎょうににん)

私たちは、ひとりぼっちになった
気がすることがあります。

さみしがり屋の人は、よくあるかもしれません。

ひとりぼっちの旅の時にも
一緒にいてくれる人がいる

というのが今回のテーマです。

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■ 四国には、お遍路さんという方が散見されます。

白衣をまとい、笠をかぶり、
杖を持って、お寺を巡ります。

もう少しだけ詳しく言うと、

「札所」

という指定された八十八個所を
巡礼するのです。

▼一つのお寺を訪れるたび、
帳簿(?)にサインをもらい、

お線香をたき、
般若心経を唱え、

お札を入れます。

このお札、白いものが一般的なのですが、
よくみると、
赤いものや銀色のものもあります。

▼ごくまれに、金色のお札を入れている人がいて、

これはどんな意味があるのだろうかと思い、
人に聞いたり調べてみたら、

八十八個所のお参りをくまなく行い、
高野山に記帳を奉納して

1回が終了となります。

この一連の行為を
100回以上行った人に金の札を入れる権利が
与えられるそうです。

1回だけでも大変なのに、
100回となると、
どんなにお金と時間を必要とすることか。

■ ちなみに、

余談ですが、お金で言えば、
マイカーで回るのが一番安くて、

歩いて行くのが、一番お金が
かかるそうです。
(長期の宿泊が必要だからです)

もしかしたら、ものすごい
お金持ちかもしれませんが、

いでたちは、いたって、質素で、
どういう素性の方なのか、
さっぱり分かりません。

■ さて、

それはおいといて、

▼お遍路している方は、

一人でさみしくないのでしょうか?

直接聞いたことはないのですが、
お遍路さんは、

ひとりであって、ひとりでないのです。

彼らの笠には、

▼「同行二人(どうぎょうににん)」

という文字が書いてあり、

これは、一人の遍路も必ず
弘法大師さまがつきそう
ふたり旅なのですよ、

というような意味だそうです。

たとえ、ひとりであっても
心の支えのある方は強いですね。

■ それなら、

私たちの生活もひとりであっても、

ひとりではない、こころの
よりどころは持てないものでしょうか?

私は、決して、宗教をすすめている
わけではありません。

何かしら、自分の目標とする人、
好きでたまらない人、
尊敬する人

を胸に抱いて生活することは
できないものでしょうか?

■ そうすると、

ひとりであっても
そうでないと思える
力が湧いてくるのです。

そういう力を得た人は強いですから、
より長く歩くことができるのです。

■ 同行二人は、

お遍路さんだけのものではないかもしれない。

あなたのしあわせを願う人、
あるいは、もっと大きな存在は、

必ずいると思うのです。