私たちは、ひとりぼっちになった
気がすることがあります。
さみしがり屋の人は、よくあるかもしれません。
ひとりぼっちの旅の時にも
一緒にいてくれる人がいる
というのが今回のテーマです。
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■ 四国には、お遍路さんという方が散見されます。
白衣をまとい、笠をかぶり、
杖を持って、お寺を巡ります。
もう少しだけ詳しく言うと、
「札所」
という指定された八十八個所を
巡礼するのです。
▼一つのお寺を訪れるたび、
帳簿(?)にサインをもらい、
お線香をたき、
般若心経を唱え、
お札を入れます。
このお札、白いものが一般的なのですが、
よくみると、
赤いものや銀色のものもあります。
▼ごくまれに、金色のお札を入れている人がいて、
これはどんな意味があるのだろうかと思い、
人に聞いたり調べてみたら、
八十八個所のお参りをくまなく行い、
高野山に記帳を奉納して
1回が終了となります。
この一連の行為を
100回以上行った人に金の札を入れる権利が
与えられるそうです。
1回だけでも大変なのに、
100回となると、
どんなにお金と時間を必要とすることか。
■ ちなみに、
余談ですが、お金で言えば、
マイカーで回るのが一番安くて、
歩いて行くのが、一番お金が
かかるそうです。
(長期の宿泊が必要だからです)
もしかしたら、ものすごい
お金持ちかもしれませんが、
いでたちは、いたって、質素で、
どういう素性の方なのか、
さっぱり分かりません。
■ さて、
それはおいといて、
▼お遍路している方は、
一人でさみしくないのでしょうか?
直接聞いたことはないのですが、
お遍路さんは、
ひとりであって、ひとりでないのです。
彼らの笠には、
▼「同行二人(どうぎょうににん)」
という文字が書いてあり、
これは、一人の遍路も必ず
弘法大師さまがつきそう
ふたり旅なのですよ、
というような意味だそうです。
たとえ、ひとりであっても
心の支えのある方は強いですね。
■ それなら、
私たちの生活もひとりであっても、
ひとりではない、こころの
よりどころは持てないものでしょうか?
私は、決して、宗教をすすめている
わけではありません。
何かしら、自分の目標とする人、
好きでたまらない人、
尊敬する人
を胸に抱いて生活することは
できないものでしょうか?
■ そうすると、
ひとりであっても
そうでないと思える
力が湧いてくるのです。
そういう力を得た人は強いですから、
より長く歩くことができるのです。
■ 同行二人は、
お遍路さんだけのものではないかもしれない。
あなたのしあわせを願う人、
あるいは、もっと大きな存在は、
必ずいると思うのです。