今から、30年ほど前は、個人のパソコン間で通信している人は、まれでした。
パソコンそのものは、普及してきていましたが、まだ、みんなが持つような時代ではありませんでした。
NECのPC98シリーズという型番が日本では人気でしたが、お金のない庶民には、高嶺の花でした。
実は、その30年くらい前のパソコンは、日本でよく売れて、これで、企業の製造ラインを管理する会社も多くなりました。
当時、フロッピーディスクという、磁気記録メディアを日本人が開発し、爆発的に売れました。
記憶容量は、1M バイトという現在のギガとは、1000倍異なる単位でしたが、当時は、それで十分でした。
このPCは、もう一般の人が利用することがないため、ほとんど知られていないことですが、この古い中古のPCが、現在、割合、高値で取引されています。
先ほど述べたように、製造ラインの管理などで、システムをそのまま利用している企業が、壊れたPCの買い換えを行っているのです。
買い換えといっても、製造は中止しているので、中古品しか存在しません。
それでも、需要があるのは、システムをそのまま利用できる企業では、新しいシステムを導入するよりも、既存のシステムで、中古のPCだけ買い換える方が圧倒的に安いからです。
実は、このPCを利用している企業は、中小企業に限りません。
案外、誰でも知っているような大企業が、このシステムを継続していることがあります。
システムを変更すると、PCの買い換え、新たなシステム開発の必要、そして、定期的なアップグレードやメンテナンスを必要とし、莫大な経費がかかるからです。
たとえ話ですが、電卓で事足りる計算を行うために、わざわざ、最新のPCを買い、しかも自社用にカスタマイズした、システム開発を行うのは、もったいないということでしょう。
日本の携帯電話は、世界標準と異なる形で生き残り、それは、「ガラケー」と呼ばれています。
私は、それは何のことか分からなかったのですが、ある時期に、「ガラパゴス携帯」だということを知りました。
日本のよい所も悪いところも、ガラパゴス化しやすい点にあるように感じます。
平安時代の国風文化は、雅でした。
江戸時代の鮨、天ぷら、浮世絵、歌舞伎、その他の文化は、鎖国の時代に開花しました。
情報が開かれた現代においても、ガラケーが存在することは、日本の保守化が強いことを意味しているのかもしれません。
それゆえ、保守を旨とする自民党が生き残っています。
高齢者の人だけでなく、20歳くらいの若い人に、自民党支持者が多いようです。
個人的要素は別にして、日本文化は、保守的なものを求める傾向にあるのかもしれません。