2015年7月8日
半沢直樹の続編がでない理由(?)

半沢直樹の続編の話は、早い段階でなくなりました。
製作を考えているテレビ局に対し、堺雅人氏が、のらないということが伝わってきました。

半沢直樹は、強烈で、あれをやると、最初の水戸黄門をやったみたいに、変なイメージで出来上がってしまうからと聞いたこともあります。

それだけでしょうか?

ぼくは、あのドラマの後半の仕返しがよくなかったのだと勝手に考えています。
前半で、詐欺や横領にかけようとした上司に倍返しというなら、まだ分かる。
あれを野放しにしておくと、悪がはびこることになる。

一方、後半で、常務を追い込むというのは、どうなのでしょう?
単なる個人的な復讐劇であると考えています。

また、原作には、銀行から融資を受けられなかったから自殺した父親の話はなかったように思うのですが…。
怨念の仕返しの根拠として作ったのでしょうか?

それにしても、融資を都銀に断られて自殺というのも悲しい話ですが、変な話にも思います。
なぜ、都銀にこだわり、近くの信用金庫に相談に行かなかったのでしょうか?
その後の話でも、信用金庫が融資をして会社は延命したようになっています。

それを恨みに思うことは、理不尽だとぼくは、考えています。
金がなくなって、破産するケースは、枚挙に暇がないほどです。
残念なことに、経済状況と自殺率は相関があり、一定の割合で人生をあきらめる方がおられます。
それでも、金を貸してもらえないことを根拠に、父を殺されたというのは、的が外れていると考えます。
そもそも、お金を借りる時は、「返す」という約束をするはずです。
最初から、返さないという人に金を貸す業者はありません。
返さない = 金をくれ、と言っているのと同じことです。

ですから、自己責任で借りた金は何とかしないといけない。
これがなくなると、社会責任というものがなくなります。
いわゆる、モラルハザードです。

話をまとめると、半沢直樹の後半部に倍返し、100倍がえしの根拠はなかったと考えます。
自己責任を放棄した、恨み節は、社会を悪くします。
恨みに思って仕返しをして、さらに悪化している治安の悪い国々があります。

半沢直樹の後半部がなく、前半で終わっていたら、どうなっていただろうと思うしだいです。

ただし、続編も同じように、自己責任よりも恨みを優先させるようなシナリオでしたら、やはり、堺雅人さんは出演しないと思います。

ぼくは、続編の話を知りません。
実は、本は買ったけれど、読む気にならないのです。