2018年5月9日
先人の知恵を利用しないと…

林先生の初耳学で出た話題です。

農家の家で、数学ができる子がいました。
数学の先生が、その才能を見込んで、進学しないかと勧めました。
しかし、親は、生活に困るからと言って、子どもを進学させませんでした。

それでも、その子は、自分で数学を勉強していました。

数年後、以前、勧誘してくれた数学の先生が再訪しました。
出会った子どもは、うれしそうに先生に告げました。

「先生、二次方程式の解の解き方を発見しました!」

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さて、この話をどう思うか?

独力で、二次方程式の解の求め方を発見した子どもは、才能があります。
天才かもしれません。

ところが、数学の先生は、その言葉を聞いて落胆しました。
「時、すでに遅し」
ということです。

二次方程式の解の求め方は、中学校で習う義務教育に組み込まれています。
解の求め方の方法も論理だって記述され、その応用問題も出題されています。

少年の才は、すばらしかったのだけれど、人が自分1人の力で成し得ることには、限りがあるという事実の方が大きかったのです。

私たちのほとんどは、独力で、ピタゴラスの定理を発見することができません。
学問の基礎なくしては、おそらく、一生かけても無理でしょう。

しかし、これも、中学校の教科書では、いとも簡単に教えられます。
誰かが発見した学問的な知識は、論文で発表した場合、他の誰が使ってもよいのです(特許をとっているものは除く)。

これによって、学問の進歩が促されます。
人間の知識は、積み重ねたり、応用したりすることができるのです。

今の科学は、そうした先人の知恵を借りなければ、時間的に間に合いません。
人生の中でも旬の時期を逃してしまう、あるいは、道半ばで人生が終わってしまう。

我々を取り巻いている科学技術は、すべて先人とその知識を応用した人たちのもので支えられています。

ですから、ニュートンやアインシュタインを超えた技術や理論を組み立てることができるのです。

こうした過去の偉大な人は、巨人です。

我々は、巨人の肩にのって、初めて躍進することができるのです。

人が、どれだけ学問を行った方がよいのか、個人によります。
ただ、せっかくおられた巨人の肩を貸してもらわないですごすことは、もったいないことなのです。

相撲では、胸を借りるといいます。
学問では、「巨人の肩にのる」と表現します。