2014年12月4日
作者が生きている内に他の人が解釈をする−宮崎アニメ

まだご存命の宮崎駿監督。
映画は、最後にするという話ですが、もちろんまだ普通には健在のようです。

一時、もののけ姫を最後に終わる、という話がありましたが、あれから4作発表されました。
しかし、今回は、本当に最後かなと考える節があります。

一つには、宮崎さんが高齢になったこと。
これは、気力が持てばもう1作作ることができるかもしれません。

気になる2つめは、題名が以前のものと全く異なることです。

宮崎監督の長編アニメには、「の」がつくことがお約束でした。
一番最初の「ルパン三世 カリオストロの城」から始まって、「崖の上のポニョ」まで例外がありません。
今回の「風立ちぬ」に「の」はありません。

前作のポニョから気になっていたのは、それまで、監督の作品では、必ず空を飛ぶシーンが出ていたのですが、ポニョでは、それがなくなったことです。
「今回は、空を飛ばない」とこのことに関しては、監督も言及していました。

そのため、そろそろ(引退)かな、と感じていた頃ではありました。

もう1作という衝動が出現したら、発言を翻す可能性がないとは言えませんが、まずは、これで、終局と考える方が自然なように思います。

それにしても、監督は、映画の背景について語りませんね。
「崖の上のポニョ」の舞台が、広島県の鞆の浦という可能性が濃厚なのですが、これも決して明言しません。
また、作品の解釈についても触れません。

自分の手を離れて世に出た作品は、みんなのものになったという考えでしょうか。

そのため、作者の死後に作品に対して、いろいろな解釈が出るのに対し、宮崎アニメについては、作者が現存している内に、様々な解釈が繰り広げられています。

とりわけ、不可思議性が高く、潜在意識に入り込んでいると思われる、「千と千尋の神隠し」については、ブログでの解釈だけでなく、本も出ています。
特に気になるのは、顔なしの存在ですね。

自分なりにキャラクターの役割を考えていくことは、人間関係、仕事、成長などについて何かしらの発見があるかもしれません。