歴史についての大いなる誤解
有名な事象についても、大きく誤解されている、あるいは、歪められている。
それを会話形式のゼミで解き明かしたいと思います。
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登場人物紹介
講師
一文字浩介
地方の準難関大学卒であるが、なぜか帝国大学の講師をしている
心理学者の若手
興味は豊富で、多彩な知識を持つが、まだ何も大成していない
学術とは変わった認識を持つ
言葉使いは、ていねいだが、少し変わり者
生徒1
橘涼香
元、理系女子
宇宙など、壮大なものにあこがれる
宇宙物理学科を目指し、大学受験では合格できるレベルにあったものの、研究に残ることができる者は、ごく一部の天才だけと知り、人文科学を専攻する
気丈な性格といえる
生徒2
円山由貴子
文系女子
ふくよかで、穏やかな才女
彼女の優秀さは、時にかいまみられる
感性豊かな性格
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一文字:君たち、これまで講義に付き合ってくれて、ありがとう。
巻き込まれ心理ケアについては、他書になく、掘り下げたつもりです。
参考図書がありませんから、事例検討と質問で問いかけていきました。
さて、この度は、巻き込まれを鳥瞰(ちょうかん)する目を養うための講義を行うことにしました。
1つは、変わらぬ人間心理に関する見方、考え方についてです。
2つめは、うつ状態になった癌患者さんとの話を通して、日常と違う物事の見方について考えていきます。
まずは、歴史と人についてです。
よく、「歴史に学ぶ」という話をよく聞きます。
これは、どういうものなのか?
それは、教科書で歴史を学んでその考えに至るのか、という素朴な疑問から始めます。
まず、君たちは、大学生だから、日本史に関しては、小学校と中学校で2回学んでいます。高校でも選択して学んでいると3回になります。
大学で学ぶと4回目ですが、それはいいとしましょう。
さて、君たちは中学校までで、日本史の概略を学ぶわけですが、それで、歴史の流れが分かりましたか?
橘:実を言うと、覚えることが多くて、関連性より固有名詞が多く、そこに気をとられます。そして、分かったような感覚と、ぼんやりして、何だろうという感じが入り混じっています。
円山:私は、教科書だけでは、歴史の流れや人間的な理解を行うには十分ではないと思います。
一文字:ぼくもそう感じます。
ただ、大まかでも日本人が、日本人としてのルーツというか、流れを知ることは大切だと思うので、授業に歴史が入っていること自体はよいことだと考えています。
一方、歴史から人の動きや世の中の動きを考えるためには、以下のことを理解しておく必要があると考えています。
1 人の脳は、石器時代から進化していない
同じ人が同じ間違いをおかします。
世代が変われば、同種の間違いをまた、おかします。
ゆえに、歴史は繰り返すことになります。
人間は、理性より、感情により大きく動くものです。
民衆が大きな力を発揮する時、必ず大きく感情を揺さぶられていました。
ゆえに、私は、感情に基づいた人間心理で歴史を理解することが大切だと思っています。
2 歴史の鉄則:人は、力、金、感情で動く
人は感情で動きます。
理性で動くこともありますが、それはごく一部分です。
・健康に悪いと思ってもタバコがやめられない
・夜にお菓子の袋をついつい開けてしまう
・散歩など少し運動をしたらいいのにめんどうで行えない
・人にやさしくしたいけれど、それができない
・貯金をしたらいいと分かっているのに、欲しいものに使ってしまう
・あの時、もっと学習していたらよかったのに、その機会を逃してしまった
など、頭で理解できても体が動かないことが多々あります。
そうです。
人は、考える葦である前に感情の動物なのです。
人の集合体である、歴史は、なおさら理性で動くことはありません。
どこかの王がよい振る舞いをして、世の中がよくなったとしても、それは、理性で歴史が動いたわけではありません。
王は、権力と金を持った人物なので、世の中を動かす力があり、たまたま、それがよい方向にいっただけなのです。
反対に王制の政治で悪政を行った王の振る舞いの話は、枚挙にいとまがありません。
歴史という人の意識の集合体のなす行為は、
1 力(通常60%以上、時代によって40%〜80%)
2 金(20%〜70%)
3 民衆(10%未満)
というピラミッド構造で構成されていると私は考えています。戦乱の時代は、力が支配する時代です。逆に平和で安定している時代には、お金の力が大きくなります。
※ 力、金が占める配分は時代により、または情勢により変化します。優先順位として考えてください。
橘:先生が、そう考えるに至るまでに、何かあったのですか?
一文字:以前、時間のある時、何気なくゼミの生徒に日本史の話をしたことがありました。テーマは、以下の通りです。
(大化の改新の後、日本は「公地公民」になりました。
しかし、後に公地公民の制度が崩れ去り、いつの間にか武士の時代になっていました。どういう過程でそういうことが起こったのでしょうか?)
この問いに対して、15分から20分くらいの説明を行いました。
出した用語は、誰でも知りうる内容でした。
それにもかかわらず、説明した後、生徒から、
「そんな話、学校で習ったことありません。学校の先生は、なぜ、そんな大切な話を教えてくれなかったのですか?」
と詰問され、逆にこちらが驚くことになりました。
ぼくの話はすべて、中学校の教科書あるいは参考書に記述してあるものからしか引用していません。
そのため、学校では、歴史のできごとと年号は教えてくれるけれど、歴史の流れであるストーリーが語られていないのかもしれないと考えるようになりました。
橘:うーん。私自身は、説明できるような、できないような微妙な感じです。
一文字:では、ここで1つ問題を出します。
「桜田門外の変」は、聞いたことがありますか?
橘、円山:はい。
一文字:この言葉が歴史で説明される場合、たいてい、次の4つのキーワードがセットになっています。
井伊直弼 → 安政の大獄 → 吉田松陰の殺害 → 桜田門外の変
いやな言い方かもしれませんが、これらは歴史のテストに備えるために必須の項目です。小学校の時から教わった内容です。
しかし、ぼくには、分からなかったのです。
吉田松陰が殺されると、なぜ井伊直弼が殺害されるのか?
民衆の怒りで、大老(老中より上の位)が殺されることがあるのか?
これらを論理的に説明するには無理があります。
円山君は、どう思いますか?
円山:私は、この一連の流れを説明するためには、情報のピースが少なすぎると思います。最低限の事実だけを教えて、その背景と理由を説明していません。
一文字:そうです。では、円山君は、これをどう説明しますか?
円山:私はまず、13代将軍の徳川家定に子どもがなかったことから説明する必要があると思います。
橘:えっ?そんなことが関係しているの?
一文字:(目を細めて)円山君、説明を続けてください。
円山:はい。1853年にペリーが来航して以来、幕府を初めとした国政は動揺しました。当時の筆頭老中は、阿部正弘でした。彼は、朝廷に報告し、広く有力藩の意見を取り入れることにしました。そして、阿倍は、内政などを改革し、開国しました。これが、「安政の改革」です。
橘:へえー。安政の改革というものもあったのね。
円山:そうです。しかし、阿部正弘は、若くして亡くなり、引退します。
筆頭老中は、堀田正睦に変わりました。
この頃、問題となったのが、13代将軍、徳川家定の跡継ぎ問題です。それを誰にするかで、保守派と改革派で主張が大きく割れたのです。
橘:家定に子どもがいなかったから、跡継ぎを誰にするかという、権力闘争が起きたと考えてもいいのかしら。
円山:そう考えていいと思います。保守派は、紀伊藩の慶福(後の14代将軍、徳川家茂)を押します。しかく、改革派は、一橋慶喜(後の15代将軍、徳川慶喜)を推薦していました。
そういったいきさつの中、紀伊藩に近い間柄の井伊直弼が大老に就任するわけです。
橘:あ、ついに井伊直弼が登場。複雑になってきました。
円山:井伊直弼は、幕府の力が弱まったことと、紀伊藩の慶福を将軍にしたいがため、独裁政治を行います。そのひとつが、天皇の許可も得ずに、日米通商修好条約を結んだことです。これで、天皇との仲も悪くなりました。
橘:そうだったの。
円山:それから、安政の大獄を行いました。安政の大獄は、吉田松陰の話が有名ですが、それだけではないのです。
水戸の徳川斉昭、一橋慶喜、越前の松平慶永らを政治に参加できないよう、軟禁状態にしたわけです。これも安政の大獄のひとつです。
橘:どうして、彼らを殺さなかったのですか?
円山:藩主など身分の高い人間を処刑すると、内乱が起こるでしょう?平時でも西南の役以上の大混乱、大合戦になるかもしれません。まして、海から外国が狙っている時期にそういうリスクは犯せません。
だから、彼らを謹慎させておいて、その間に14代将軍を家茂に決めてしまったというわけ。
橘:そうか……私にも少し見えてきたわ。桜田門外の変が水戸藩の浪士を中心に決行されたのは、そういう事情がからんでいたわけね。
円山:そう推測すると、理屈に合うでしょう?
吉田松陰は、それとは別に言論弾圧で、とばっちりを受けた人というわけです。一私人を殺しても、騒動にならない。
橘:ふーん。じゃあ、桜田門外の変と吉田松陰は直接関係がないということなのね。
円山:因果関係から言うと、そういうことになります。
橘:知らなかった…。それにしても、由貴子ちゃん、すごく詳しいわね。
円山:実は、私は、史実が好きな「歴女」なのでーす♡
橘:そうだったの!
一文字:円山君、大変詳しく分かりやすい解説をありがとう。
歴史って、実は、すごく人間味あふれているでしょう?よい悪いは別にして。
橘:はい。内情を知って、驚きました。
円山:ついでに補足してもいいかしら?
一文字:どうぞ。
円山:一般には、アメリカ軍では、ペリーが日本を初めて現れという風に語られていますが、それも違います。その6年前の1947年にビットルという司令官がやってきているのです。しかし、ビットルが率いた軍艦が二隻で規模も小さかったから、周りを船で囲んで動けないようにして、追い返したのです。それで、ペリーの時は、船を四隻にして、大砲も充実させてやってきたの。
橘:あ、じゃあ、これも力でやられたというわけなのね。
円山:そういうこと。
円山:それから、ペリーが太平洋を渡って日本にやってきたというのも誤りで、アメリカの東海岸のニュー・フォークという街から、大回りして来日したのです。
その頃のアメリカは、まだ西部開拓時代の名残があり、西海岸には軍港がなかったのです。
だから、日本は、極東と言われるように、欧米から一番遠い国だったのです。
橘:それも知らなかった!学校では、ペリーは、太平洋を渡ってきたと教えられた気がしたけど…。
一文字:うん。円山君、語り尽くせないくらい話題がありますね。
ぼくが、「巻き込まれ」の話をしているのに、ここで歴史をとりだしたのは、
1 小さな視点では、物事をとらえることができないこと
2 人は、論理より感情で動くことが多いこと
3 俯瞰的およびいろいろな角度から事象をとらえた方が本質をつかみやすいこと
などを知ってもらいたいがためです。
円山君、ごくろうさま。
橘:由貴子ちゃんの話、とてもおもしろかったよ。
円山:そういってもらえて私もうれしい。
一文字:さて、これで、特別講義を終わります。
橘、円山:ありがとうございました。
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考察:歴史という壮大な流れにも人の心理が大きく関与している
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※石川晶康 日本史B 講義の実況中継3 近世〜近代、語学春秋社 参照