中空に座す 殿山雄山
ピンと張りつめた夜空の特等席に
真っ白な月が鎮座している。
いくらか欠けた月のなかほどに
さらに向こうの夜が透いてしまいそうなほどぬけた箇所がある。
まるで自分を投映しているかのようだ。
マスクをはずすと、白い息が見えた。
手に息を吹きかけてみた。
手指は、思ったより冷えていない。
末梢はそれほど悪くなくとも中身のない自分自身のようではないか。
それを映し出している中空の月と同様に。
記憶と計算の秀でた青春期は矢のように過ぎ去り
バイタリティと判断力の高まった壮年期は
忘却させられたように終わりつつある。
それでも、老年期を前にして、なおも青春期に考えていた夢が駆けめぐる。
月が今の形になるまでに費やした時間の長さをぼくは、想像することができない。
たくさんの障害物が自分の頬を容赦なくぶん殴ってきたことだろう。
月は、われわれに対して、いつも同じ顔を向けている。
われわれにはうかがえない反対の顔は、傷がきわめて少ないきれいな肌をしている。
こちらから見える冴えない傷を
先人は、うさぎがいることにしてごまかしてきた。
うさぎのたとえは、ロマンなのか、とってつけた希望なのか。
月はかなしいことに、自らの力で動くことができない。
でも、ぼくは、まだ他力に流されるだけでなく、己で為せることがある。
これからも年齢を重ねることになるが、欠けた穴をうめることができるだろうか。
ぼくは、この詩をマーラーの8番を聴きながらしたためている。
これが、未来に対する諦念であるならば、おそらく9番を聴いていることだろう。
年をとることについての諦めはついたが
まだ何かができることについての望みは捨て去ることができない。
思いをつらねているうちに、月は夜空のスクリーンの特等席からはずれて
見上げる位置に舞い上がっていった。