社会に出る前に知っておいた方がよいことがいくつかある。
礼儀、コミュニケーションの取り方、能力をのばすスキル…。
上に述べたのは、よいことの羅列かもしれない。
そんなこと、分かっているよ。
でも、いくつになっても、コミュニケーションの問題はついて回るよね。
スキルの問題もなくならないよね。
50年前は、ごく一部の特殊な人を除いて、コンピューターのスキルは必要なかった。
あれは、専門職が行う仕事だったから。
今でも、もちろん、コンピューターの専門家は存在する。
しかし、事務系で仕事をしようと思うなら、一応のパソコンの操作くらいは、できないと話にならない。
医療でも、電子カルテが導入されてから、ベテラン看護師さんが、初めてキーボードを触ることになった。
PCの扱いに慣れないことから、仕事の効率化のうたい文句に反し、かえって患者さんと直接接する時間が減ってしまった。
さて、そんな変な現象が起こることも世の中の流れとして仕方がない。
人間関係では、お嫁に行って、姑からいびられていた人が、時代が変わって、自分が姑になった時、今度は嫁にいびられている人もいる。
姑になったら、嫁をいびってもいいと言っているわけではない。
若い頃にいびられて、年をとったらいびられるとは、その人の人生において、とてつもない往復ビンタを食らっているようなものであろう。
さて、これもやるせない話である。
世の中には、理不尽なことがある。
というより、世の中は、理不尽なことで埋め尽くされていると考えた方がいいかもしれない。
現代でも、ある国に生まれただけで(例えば、シリア)、戦渦に巻き込まれ、仕事どころか、食べるものにも、住むところにも事欠いてしまう。
その昔、奴隷の子どもは奴隷であった。
アメリカ人が、アフリカから人を連れてきて、奴隷として使用したことは、周知の事実である。
南北戦争の時、奴隷解放宣言を行い、戦争終結後、そのような形になったものの、差別の気配は、依然として残っている。
肌の色が異なるだけで、差別を受けるとは、理不尽以外の何ものでもないだろう。
理不尽なことをなくしていくようにしていきたい。
と同時に、世の中から、理不尽なことがなくならないことも分かっている。
であるならば、絶望ではなく、勇気を持って、理不尽なことが存在していることを知っておいた方がいい。
そして、それは、社会に出る前に知っておきたいことである。
私は、小学校に入る前から、「世の中は平等ではない」ということを直感的にではあるが、確と感じていた。
さらに、小学校に入った後、その理不尽さを数多くみてきたし、現実にいくつも体験した。
私が、新しい世界を目指して歩んできたのは、その理不尽なことを回避するため、あるいは、逃れるためであったことは否めない。
私は、成功を目指して歩いてきたのではなく、理不尽な現実から自由になるために、行動してきたのではないかとも思っている。
(詳しい内容は、「とのやまクリニック紹介」に掲載しましたので、時間と労力に余裕のある方は、お読みください。)