2020年1月31日
ムダな脳を使わなくていい工夫

「人って、案外、考えていない」
と私は思っている。

いや、私だけかな。

 

新幹線の車両は、最近は、通路に号車番号を表示してくれている。
最近じゃなくて、結構前からかな。

でも、何列目という表示があっても、どちらから乗り込んだ方が効率がよいと考えたことがなかった。
たまたま、乗り込んでみたら、遠かった、近かったなどというノー天気な気分でいた。

それで、今まで困らなかったので、問題とならなかったのだろう。

しかし、少しだけ考えてみると、バカみたいに簡単な規則性があることに気がついた。

新幹線は、東京を始発駅およびターミナル駅にしていることを考えてみると、当たり前の話だ。

下り線では、前から1号車、2号車の順番。
同時に列も前から1列、2列、3列と続いている。

これが、上り線では逆になっているという単純な話だ。
だから、上り線では、1列は、最後尾となる。

こういう単純なことでさえ考えることを放棄していた。

人は、困った時に頭を使うより、手足を先に動かそうとする。
案外、脳を使おうとしないものだ。

 

私のクリニックでは、診察でお呼びする時に名前で呼ぶか、番号で呼ぶかを選択してもらっている。

これを区別するために、番号で呼ぶ方のカルテの名前を四角い紙で隠している。
名前で呼ぶ方は、丸い紙を貼って名前を隠さない。

しかし、ここで紛らわしい場面が出てくることに気がついた。
カルテに表紙の下に診断書をはさむと、紙が見えなくなるのだ。

そのため、隠す紙は、カルテの表側に貼ることにした。

しかし、それでも、分かりにくいことがあることが判明した。
やはり、診断書がはさんであると、そこに書いてある名前を読み取って誤って、名前で呼ぶ危険があることだ。

そのため、番号で呼ぶ方の紙は、形だけでなく、赤色をつけることにした。
さらに、カルテの表紙をはぐった時にも赤色が見えるようにした。

 

人は注意しても間違いをおかす。

国や政府、自治体は、「間違えをおかさない」という前提で仕事を進めている。
それは、とんでもない話だ。

1冊の年金手帳を生涯使っていても間違いは起こらないから大丈夫だと政府は言った。
ところが、蓋を開けてみると、年金をかけているにもかかわらず、記載されていない年金の表示漏れの問題が発覚した。
しかも、その数、5000万件を超えて、今なお解決されていない。

銀行で発行される預金通帳のようにしっかり記載して、見えるものがなくてよいのかという懸念はあった。
そして、その懸念が現実のものとなったわけである。

最近は、手帳こそ1つであるが、記載間違いがないか確認を行う、「年金定期便」が郵送されてくる。

その証明と確認を最初から行っておけば、ずいぶんと問題は減ったはずである。

 

人は間違える。
そして、人は、脳を使うことを嫌がる。

だから、私は診察時に必要のない脳を使わなくてすむよう、カルテの見え方の工夫を行っている。