不幸になる考え方は、いつもあります。
その中で、代表的なものをもう1つ取り上げます。
それは、一体、何なのでしょうか?
あなたも知っているかもしれません。
あるいは、気づいているかもしれません。
これは、私の妄想話ですが、案外、うなづけるところがあるかもしれません。
今回は、別のテーマについて掘り下げていきたいと思っています。
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登場人物紹介
講師
一文字浩介
地方の準難関大学卒であるが、なぜか帝国大学の講師をしている
心理学者の若手
興味は豊富で、多彩な知識を持つが、まだ何も大成していない
学術とは変わった認識を持つ
言葉使いは、ていねいだが、少し変わり者
生徒1
橘涼香
元、理系女子
宇宙など、壮大なものにあこがれる
宇宙物理学科を目指し、大学受験では合格できるレベルにあったものの、研究に残ることができる者は、ごく一部の天才だけと知り、人文科学を専攻する
気丈な性格といえる
生徒2
円山由貴子
文系女子
ふくよかで、穏やかな才女
彼女の優秀さは、時にかいまみられる
感性豊かな性格
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橘:では、さっそく、ツッコミを入れます。
それは、何なのですか?
一文字:サクッと言います。
「人と比べること」です。
橘、円山:あーーー。
一文字:自分と人を比べると、不幸になっていきます。
分かりますか?
Are you ready?
円山:比べる、つまり比較することが運を下げるということですか?
一文字:そういうことにもなります。
なぜ、人と比べることが不幸になるのか理解できますか?
円山:自分自身の価値基準を持てなくなるからではないでしょうか。
その基準が揺らぐと、安定した自己肯定感を持てなくなります。
橘:そういえば、江戸時代の政策は、「農民は生かさず、殺さず」という方針でしたね。
そして、そのためにある言葉が作られました。
「上を見るな、下を見ろ」と
円山:その言葉は聞いたことがあります。
一文字:高校生の時、同級生が、夏休みに予備校で、夏期講習を受けていることを知って、ぼくもその講義を受けたいと嘆願しました。
受講した同級生は、すごくよかったと言いました。
もちろん、自分の意欲で、独学で勉強することはできます。
しかし、ぼくは、そこまでの計画性と実行する努力ができなかったのです。
一度、有名講師の授業を受けてみたかったのです。
円山:それなら、先生も受講したらよかったのに。
親御さんは、受けさせてくれなかったのですか?
一文字:はい。理由は簡単です。
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(過去の会話)
母:「受講料はいくらいるの?」
自分:「30万円くらい…かな」
母:「えー、そんなにするの!高いわね!…それに交通費と宿泊費もいるでしょう?」
自分:「……」
母:「あんた、いくら、かかると思っているの?」
自分:「……」
親からの了承は得られませんでした。
母:「うちには、そんなお金がない」
そして、母親は言いました。
「上を見るな、下を見ろ」
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それ以降、ぼくは、この言葉がものすごく嫌いになりました。
自分が不満を申し立てると、時々、親からその言葉を告げられました。
橘:……先生にも繊細な感受性があったのですね。
すごく理解できます。
円山:悲しい気持ちになってきますね。
橘:それにしては、缶ビールが高いから、発泡酒を飲んでいるという先生。
どうせなら、お酒やめたら、どうですか。お金浮きますよ!
円山:ハハ、そうですね。
一文字:いやー、間違いありません。
円山:でも、ここで、1つ大きな問題点を発見したわ。
自分で生きていく力がない子どもに、
「お金がないから、他の子と同じことができない」
という事実と言葉は、後によくない人格形成をする可能性があると思う。
橘:私も、そう思いました。
先生の繊細な性格の源泉の1つを発見しました。
一文字:円山君、橘君、ありがとう。
思春期は繊細なのです。
なぜ、そうした講義を受ける友人がいる一方、自分はどうして、それができないのか?
これは、単純に「お金があるかどうか」の問題です。
世の中の不平等を恨みました。
橘:先生も悩んで成長したのですね。
一文字:ちょっと変わった個人的な経緯の話をします。
ぼくは、小学生時代は、地元の公立学校でしたが、中学からは、高校、大学、大学院に至るまで国立学校に通いました。
これは、偶然ではありません。
自慢話でもありません。
ぼくは、子どもながらに、金銭的な問題で、私立の学校に通うことができないことを知っていました。
試験に合格しても悲しい思いをするだけなので、受験したことがないのです。
また、親に受験料を出させることにも抵抗がありました。
ただ、自然に通える公立学校では、学級崩壊、担任から虐げられる、いじめ問題、そして、いじめを止めようとすると、自分に膨大な圧がかかって、耐えられない環境でした。
公立中学校は、普通に行くと進級できますが、ぼくは、小学生時代に、学校のストレスで壊れかけていました。
たまたま、近隣に国立大学附属の中学校、高校があったことが、さいわいしました。
ぼくは、生涯を通じて、私立学校のすべり止めを一度も受けたことがありません。
受験料と校納金が家計を圧迫するからです。
実質のすべり止めは、最後(3月中旬)に行われる県立の公立高校でした。
さいわい、国立学校の合格が先に出たから、公立高校の受験も受けたことがありません。
国立学校の授業料は、公立よりさらに安価でした。
高校で、年間授業料が4万円でした(月額ではありません)。
ぼくは、優秀ではありません。
家庭の事情により、国立学校しか受験したことがない変わった学生だったのです。
橘:何か、考えさせられるところがあります。
私たちの家庭環境とは異なっている気がします。
残念な気持ちになります。
一文字:橘君、ありがとう。
普通に暮らしている中でも、そのような世界があるのです。
君たちがカウンセラーになった後は、さらに劣悪な家庭や貧困層の実態を知ることになるでしょう。
円山:変な言い方かもしれませんが、今日は、リアルに感じる社会勉強をさせてもらった気がします。
一文字:あ、そう言えば、自分の話ばかりして、テーマが進んでいきませんね。
円山:いえ、理屈より現実の話の方が身に染みます。
一文字:補足しますね。
「上を見るな」は、刃向かうなという押さえつけです。
「下を見ろ」というのは、優越感を持って苦痛を紛らわしなさいという意味です。
こういう考え方で、しあわせになることができると思いますか?
円山:いいえ。決して、しあわせにはならないと思います。むしろ、不幸になっていく気がします。
橘:私も同感です。
一文字:では、何がおかしいのでしょうか?
橘:上からの圧力?
円山:強制?
一文字:そうですね。
「自発的な考えではない」ことです。
それでは、ここで問います。
似たような場面で、しあわせになるには、どう考えたらいいのでしょうか?
橘:えー、いきなり壮大なテーマに置き換わった気がして戸惑います。
一文字:いえ、同じ土俵で考察するので、的を絞った質問にしていますよ。
円山:……えーと、こういうことを言うと、生意気かな?
一文字:いえ、ご自由にどうぞ!
円山:「知足」ではないでしょうか?
一文字:実にいい視点ですね。
知足は、足ることを知る
自分の現状の中で、しあわせを感じ取る力
橘:お坊さんの托鉢は知足になるのでしょうか?
一文字:そういうことを目指している行為だと思います。
では、「比べること」と「足るを知る」では、何が違うのでしょうか?
橘:「比べること」は、自分と人を比較すること。
その上で、優越感か劣等感か安心感かのいずれかを持ちます。
円山:「足るを知る」ことは、比較をしないで、自分の中のこうふくを見つける。
一文字:すばらしい!!
ただ、現実には、それを実行するのは難しいですけどね。
橘、円山:ハハハ、そう感じました。
一文字:思う事と行動することには、大きな隔たりがあります。
ダイエットしたいと思って、やすやすとできたら、ダイエットサプリは全滅します。
円山:あ、それは、そうなりますね。
一文字:それでも、まずは、現実を知ることです。
現在地と目的地がなければ、道のりは描けません。
人生は、その都度繰り返される修正で創られます。
……さて、時間になりました。
今日の講義は、終了します。
橘:また、先生の話、聞かせてね。
円山:涼香ちゃん、慣れ慣れしいわよ。
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考察:人と比べると不幸になる。足るを知る。
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注意:一文字浩介等、登場人物は、架空の人物です。
今日もフィクション話にお付き合いくださり、ありがとうございます。